UFC参戦以前
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両親共に極真空手をやっており、8歳の時に自身も極真空手を始める。後に芦原会館に移籍。20歳の頃には全英極真空手オープントーナメント、モスクワフルコンタクト空手オープントーナメント、オランダUSA大山空手オープントーナメントらで優勝。 ジョン・ブルミンが大道塾創設者の東孝と会談し、大道塾の大会に選手を派遣することを決め、1994年にシュルトを派遣させた。 着衣総合格闘技団体大道塾主催の北斗旗オープントーナメントには1994年から4年連続出場。1994年11月5日には品野圭司に一本負けで1回戦敗退。翌年の11月11日には準決勝まで進出するも、中山正和に敗退。3位となった。 1996年は組み技のトレーニングに集中的に取り組み、当時大道塾と関係の深かったパンクラスにも出場。5月16日に山田学戦でパンクラスデビューを果たした。そして11月16日には北斗旗オープントーナメントで外国人初の優勝者となった。 1997年はパンクラスで5試合をこなし、11月16日の北斗旗オープントーナメントでは他の選手を全く寄せ付けず優勝し2連覇を達成した。 1998年にはパンクラスで1月16日に鈴木みのる、9月14日に船木誠勝から勝利した。 1999年4月18日、無差別級キング・オブ・パンクラス決定戦で近藤有己と対戦し、判定負けで王座獲得に失敗した。 1999年11月28日、無差別級キング・オブ・パンクラスタイトルマッチで王者の近藤有己に挑戦し、チョークスリーパーで一本勝ちを収め王座を獲得した。その後、2度の防衛に成功した。同王座は2003年の階級再編に伴い返上した。
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