アルカン, シャルル=ヴァランタン:モーツァルト:ピアノ協奏曲 第8番 ニ短調 [K466] 、二つのカデンツァつき
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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アルカン, シャルル=ヴァランタン:モーツァルト:ピアノ協奏曲 第8番 ニ短調 [K466] 、二つのカデンツァつき | Huitième concerto en re mineur avec les deux cadence | 出版年: 1861年 初版出版地/出版社: S.Richault |
作品解説
アルカンは19世紀パリにおけるピアノ音楽のパイオニアであると同時に、古典音楽に造詣の深い演奏家でもあった。古典音楽の守護者、比類ないヴィルトゥオーゾ、急進的な作曲家としてのこの性格は1850年代から60年初頭にかけて書かれたカデンツァつきの二つの協奏曲編曲によく現れている。その二つとは、ベートーヴェンの《ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調》の第1楽章(Richault , 1860)とモーツァルトの《ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調》(Richault, 1861)のピアノ独奏用編曲である。
彼は原典版と全集の支持者であった。エディションの作成に際して、未だ原作者の音符を自由に書き変えることが普通に行われていたを厭わなかった19世紀にあって、アルカンは編曲にまで原曲の音符に対する忠実性を導入しようとした。
アルカンは1860年の9月に、ドイツの友人F.ヒラーにこのように書き送った。
9月15日:「僕は何日か前、あえてモーツァルトのニ短調協奏曲をピアノ独奏用に編
曲したよ。二つのカデンツァ付でね。というのも、フンメルが作った編曲が
いくらかプレイエル化されすぎているように思えてならなかったからだ。」
この二つの手紙から、アルカンはフンメルのモーツァルト協奏曲編曲に不満を示していることがわかる。そこで実際フンメルの編曲を調べると、アルカンが「無謀」や「誇張」、「プレイエル化」といった理由が直ちに明らかになる。フンメルの編曲には、編曲上、必然性のないピアノ・パートの変更が多数見受けられるのである。それは専ら、華麗な音階を付加したり、拡大したりすることによって、いっそうきらびやかな効果を得るために創作されたものである。一方のアルカンの編曲はどうだろうか。彼のピアノ・パートは、他のオーケストラの楽器を可能な限り書き移しながらも、フンメルのような原曲からの根本的な逸脱はほとんど見られず、必然性のない装飾の付加も一切見られない。一音一音原曲と対応させて作られたことを思わせる彼の編曲には、明らかに古典音楽の守護者アルカンの原典尊重主義的態度が表れている。(但し、演奏のための楽想記号などは比較的自由に書き加えられている。)
しかし、この編曲に書かれた意外なカデンツァに注目することは重要である。カデンツァは複縦線で9つに区切られている。4つ目と5つ目のセクションでモーツァルトの第41交響曲《ジュピター》の第1主題がシンフォニックに引用されたかと思うと、今度は7つ目のセクションで先立つ編曲部分がロ長調に移調されて現れる。さらにショパン風の半音階を経て、この時代の典型的なヴィルトゥオーゾ風のピアノのイディオムのひとつである和音のトレモロが続く。最後にはピアノの鍵盤の両端のa音を上下する音階によって締めくくられるといった具合である。
この相異なる書法を並列する形式は、この50年代のアルカンが到達した独特の境地であった。この特徴は同時期のベートーヴェン協奏曲編曲やオリジナル作品、特に作品39に顕著な特徴である。このカデンツァは、厳格な編曲に組み込まれることで、大きな矛盾を引き起こしている。古典美を擁護するアルカンが、様式的統一を犠牲にし、自身の新しく急進的な様式を厳格な編曲に取り込むことを厭わないのはなぜだろうか?アルカンは、モーツァルトの楽譜テクストを忠実にピアノ譜に移しかえることにのみ関心があった。彼は大作曲家の音楽のオーソリティ、つまり古典性は大作曲家の書いた楽譜テクストのみにあると確信していたのではないだろうか。演奏者に委ねられるカデンツァはいかに書こうとも、彼にとって古典性とは無縁なのである。アルカンは協奏曲編曲における編曲部分とカデンツァで、その棲み分けをはっきりと示している。
しかし、そもそも原曲を異なる媒体に書き換えてしまう編曲というジャンルで古典音楽のオーソリティや忠実性を問題にすること自体、全く矛盾したことであろう。
これはアルカンの個人的な矛盾というよりは、彼の生きた時代が抱えていた矛盾である。19世紀という時代は、前を向きつつも、同時に後ろ向きな時代でもあった。初期産業時代の進歩観と独創性理念のもとに新しさが追求される一方、過去の音楽的遺産に見出された独創性は、時代を超越する永遠の価値、古典性として尊重され、復興・擁護の対象となったのである。
この新しさと古典性の同居はアルカンという個性の本質的な一面をなしている。彼はバッハ作品の支持者であったが、彼は演奏家として、その普及の可能性をエラールが開発した新しい足鍵盤つきピアノに見出していた。演奏会では自作とバロックから年下のサン・サーンスに至る様々な演目を混ぜ合わせた。そして作曲家としては古い様式をモダンな語法の中に昇華させた。アルカンはその意味で、新しさと古典性の狭間に生まれた19世紀パリの申し子であった。そしてその特徴は、この協奏曲編曲に非常に克明に現れているのである。
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