3時間45分番組時代
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「午後は○○おもいッきりテレビ」の記事における「3時間45分番組時代」の解説
1987年(昭和62年)3月、日本テレビ内の組織改編により、ワイドショー制作を専門とする「生活情報局」が設置された。それを契機に、同年5月に当時編成部長だった萩原敏雄が「コーポレートアイデンティティ(CI)の一環として、昼の番組枠全体を見直す」方針を打ち出し、既存の番組をつぶして新しいワイド番組を作ることが決定した。上層部としては、朝番組における『ズームイン!!朝!』のような存在を午後の時間帯にも持ちたいという意向があったとされる。 同年10月までの午後帯は、12時台に『お昼のワイドショー』、13時台に『ごちそうさま』『三枝成章の気まぐれ』『デザートーク』の各番組、14時台に『2時のワイドショー』(読売テレビ製作)、そして15時台にワイドショー『酒井広のうわさのスタジオ』と時間帯によって放送する番組を変えていたが、それらを一気に統合させ、正午から15時45分まで3時間45分の時間を確保し、「それまで分断されていた枠を思い切って一つにまとめ、何かあった際も迅速に対応する」という意味で「午後は○○(まるまる)」 、「おもいッきりテレビ」と名付けられた。「午後は○○(まるまる)」は他にも「何でも丸々詰まっている」という意味が込められていた。この編成はラジオのワイド番組を手本にしたと言われている。初代総合司会に山本コウタロー(本名の山本厚太郎名義で)、アシスタントに泰葉を迎えた。12時台は、身近な話題から事件・事故・芸能情報が中心であった。 ただし一部のネット局(クロスネット局など)の中ではテレビ朝日の正午の番組を遅れ放送するため、この時間以降ネットしなかった局もある一方で、13時20分で飛び降りる局(後述)が14時から再び飛び乗る局(福井放送など)も存在していた。また、広島テレビでも『ほっとひろしま』を放送するため、13時40分(その後13時20分に前倒し)で飛び降り、14時から再度飛び乗り、おもいッきりテレビ本編にネット復帰していた。 13時台は終了まで続いた「きょうは何の日」と『ごちそうさま』(元は独立番組)、その他企画コーナーを行って、最後に13時55分から放送されていた『NNNニューススポット』に相当するニュースコーナーとして『情報特急便』が放送されていた。13時55分からは『2時のワイドショー』(元は独立番組)が大阪の読売テレビから放送されたが上記の飛び降り・飛び乗りの局へ配慮するため、13時55分からの5分間は日本テレビと読売テレビとのスタジオを繋いでクロストークをする様なスタイルをとっていた。14時50分からは東京に戻り、芸能情報「うわさのうわさ」が放送された。内容やリポーター(梨元勝など)は『酒井広のうわさのスタジオ』から引き継いだものである。一部ネット局は『3時のあなた』(フジテレビ)やテレビ朝日の正午の番組を放送するためなどの理由でこの時間は放送していなかった。 番組の最後に「おもいッきりプレゼント」という視聴者プレゼントコーナー(『うわさのスタジオ』の「お楽しみプレゼントコーナー」を引き継いだもの。)があり、ハガキで応募する様になっていた。このコーナー直後がエンディングで、長大なエンディングロールが流れていた。 また、ゴールデンウィークや夏季に開催されていたプロ野球・読売ジャイアンツのデーゲームの主催試合(北海道シリーズ)開催時および年末年始の特別編成時には13時20分または13時55分までの放送となっていた。ただし、北海道シリーズのうち、札幌でのデーゲーム中継は2時間放送になってからも13時20分飛び降りで継続されていたが、ナイター設備のある札幌ドーム完成後はナイターに切り替わったのを受けて行われなくなった。最後のデーゲーム中継に伴う短縮は2002年で、この時は札幌ドーム開催ながら日韓ワールドカップの関係でデーゲームになっていたためだった。 しかし、元々『お昼のワイドショー』を制作していたスタッフからは強い反発を受け、特に「VTRを使わず極力生のトークで」というコンセプトがなかなかスタッフに浸透しなかった。また『ズームイン』から横滑りしてきた初代演出担当の齋藤太朗は、裏番組の『笑っていいとも!』との真っ向勝負を避けるべく「50代以上の女性(いわゆる「F3層」)を主なターゲットとする」という方針を打ち出したが、これも制作スタッフの年代(20代・30代の男性中心)と異なるために「受ける企画」探しで当初苦戦を強いられる要因になった。 狙ったF3層の視聴率も思うように上向かなかったため、出演者や内容をテコ入れするなど試行錯誤を繰り返していく。1988年(昭和63年)3月には春風亭小朝と結婚した関係もあり、泰葉が降板。同年4月からは2代目アシスタントに高橋佳代子が起用。それと前後して、山本がメインだった15時台の「うわさのうわさ」も、南美希子(12時台にもコメンテーターの一人として出演)に司会を変え、山本はオープニングのみの挨拶だけに留まるようになった。番組開始から1年後の1988年10月3日から放送時間を12:00 - 13:55の1時間55分に短縮。14時台の『2時のワイドショー』はそのまま、15時台の「うわさのうわさ」のコーナーは、南司会の『芸能スクランブル!!』としてそれぞれ独立番組となった。 スポンサーは「情報特急便」のみローカルで、他は全国共通だった。
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