2014年9-12月
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「ファーガソン暴動」の記事における「2014年9-12月」の解説
9月23日早朝、射殺現場の道路上にあるマイケル・ブラウンの献花台が全焼した。抗議者達が現場に集まり、献花台が再設置された。 その日の夕方、数百人の抗議者が集まって警察署長ジャクソンの辞任を求めた。ジャクソンは抗議行動に対処しつつブラウン殺害後に変化が起きていることを説明し始め、群衆内に若干の動揺が生まれた。その隙に警察官が署長を保護するため割って入り、数人の抗議者が逮捕された。 9月28日の夕方、大規模な群衆抗議があり、ビンや岩が警官に投げつけられた。他の警察部隊に応援要請が行われ、抗議者8人が公務執行妨害などで逮捕された。 9月29日、聖職者を含む十数人の抗議者が警察庁舎に集まるも、通りを片付けなければ逮捕すると通告され、(従わなかったために)聖職者が逮捕された。さらに抗議者は、午後11時以降も聖歌を続けるのなら逮捕だと通告された。11時頃、警察はゆっくりと前進したが抗議者らは後退を拒み、両者がほぼ接触すると銃声が聞こえて双方が後退した。その後、ミズーリ・ハイウェイ・パトロールのロン・ジョンソン隊長は、抗議行動が平和的である限り「5秒ルール」は援用されず、逮捕されることはない筈だと群衆に伝えた。 10月2日、元CNNのフリー報道記者マリー・ムーアや現地の活動家3名を含む10数名が逮捕され、逮捕時の抵抗による公務執行妨害などで起訴された。保釈金は最高2700ドルで、その後1000ドルに減額された。 10月3日、ファーガソン警察署長は市内の抗議行動を管理する責務をセントルイス郡警察に譲渡した。ファーガソン警察の限られた物資が、日々の抗議行動への対処を困難にしていた。 10月4日、約50人の抗議者がセントルイス交響楽団のコンサートで、休憩後の公演再開直前に「マイク・ブラウンへの鎮魂歌」として古い公民権の楽曲を歌い始めた。その後、彼らは平和的に建物を去った。 10月6日の夕方、セントルイス・カージナルスとロサンゼルス・ドジャースの試合後に野球サポーターと抗議者がスタジアムの外口論を起こした。 10月に複数の組織がセントルイス首都圏全域での大規模抗議を計画した。ファーガソン・オクトーバー (Ferguson October) というイベントでは、抗議者達がマッカロック検察官の事務所まで平和的に行進し、その後はファーガソンなどで平和的な抗議活動が行われた。夜には400人の人々が通りで平和的抗議を実施した。この10月9日のイベントは、セントルイス郡緊急センターの活性化を期待して実施された。 10月12日、セントルイス大学でファーガソン・オクトーバーの集会と活動が行われた。このイベントの目的は「警察暴力の罪を悔い改めるよう国民に呼びかけ、新世代の青少年活動家を支援する」ことだった。活動家達は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖職者と共に群衆に語りかけた。基調講演者のコーネル・ウェストは登壇すると「私がここに来たのは講演するためではない。私がここに来たのは(過激なデモを起こして)刑務所に行くためだ!」と発言した。 10月13日、抗議者達がファーガソン警察署の警官と会談するために警察の包囲網を越えようとした。段階的で平和的な不服従行為の間に、聖職者やコーネル・ウェストを含む推定50人以上の抗議者が逮捕された。セントルイス大学は平和的な抗議者の拠点になり、250人以上が参加して座り込みを行った。 10月20日、ミズーリ州選出のジャミラ・ナシード上院議員が、警察命令を重視せずに交通封鎖したことで逮捕された。彼女は同行していた男性と共に拘留され、保釈を拒否した。逮捕当時、彼女は拳銃を携帯していた。 11月17日、大陪審の結果発表を受けて、ミズーリ州知事はファーガソンでの抗議行動を見越した非常事態宣言を行った。 11月21日、新ブラックパンサー党の党員2人が抗議行動中に爆発させる予定で爆発物を購入したとして逮捕された。またこの2人は、身分を詐称して拳銃2丁を購入したことで起訴された。 11月22日、報道記者のトレイ・インストが逮捕された。しかし彼は後にアメリカ自由人権協会と共に訴訟を起こし、8,500ドルの和解金を獲得した。 11月24日、大陪審はブラウン射殺事件でウィルソンを起訴しない決定を下した。大陪審の決定発表に続いて、マイケル・ブラウンの継父ルイス・ヘッドは警察署の前で「この媚びている奴らを焼き払ってしまえ!(Burn this bitch down!)」と抗議者の群衆に叫んだ。平和的な抗議行動のほかに暴動が起こり、10数棟の建物が焼失した。銃撃、略奪、破壊行為が発生し、セントルイス郡警察のパトカー2台が破壊され、それ以外の車も多数燃やされた。 11月25日、ブラウンが殺された場所から数ブロック以内で駐車してあった車内で、20歳男性デアンドレ・ジョシュアの遺体が発見された。当初、警察は不審死だと分類していたが、頭部を撃たれて焼かれていたことから、殺人と断定した。同日、ボストンからロサンゼルスまでの米国170以上の都市で大陪審の決定に抗議するために何千人もの人々が集まり、ファーガソンでは状況の過激化を防ぐために州兵部隊が強化された、とCNNが報じた。オークランド (カリフォルニア州)では、放火、略奪、破壊行為で少なくとも90人が逮捕された。カナダの主要都市や英国のロンドンでもデモが行われるなど、抗議行動が国際的に広がった。大陪審の決定後に行われたブラックフライデー (買い物)を妨害する抗議者の呼びかけはセントルイス地域で行われ、何百人ものデモ参加者が歩道を封鎖して現地のショッピングモール等でスローガンを叫んだ。 11月27日、報道によるとニクソン知事はブラウン殺害の件でウィルソンを起訴するか否かを決定する新たな大陪審の要請を拒否した。 11月30日、セントルイスで32歳のボスニア人男性が少なくとも3人の黒人青年たちによって撲殺された。現地ではこの事件をヘイトクライムと見なし、被害者遺族は「ファーガソンの現状にある程度影響された」黒人による事件だと確信していた。数百人が「ボスニアン・ライブズ・マター」と叫ぶ、2晩にわたる抗議が行われた。
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