2010年 - 2013年 プライベーターとして再出発とは? わかりやすく解説

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2010年 - 2013年 プライベーターとして再出発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 03:21 UTC 版)

ザウバー」の記事における「2010年 - 2013年 プライベーターとして再出発」の解説

2010年 BMW2009年シーズン中に撤退発表し新たに策定されコンコルド協定サインしなかったため、一旦は2010年エントリーから除外された。その後チーム売却先を検討の末、元オーナーチーム創始者でもあるペーター・ザウバー売却することを決定した直後よりペーターエントリー申請行いトヨタ撤退により参戦1つ空いたこともあって、12月4日FIAよりエントリー認められた。 12月17日小林可夢偉2010年のレギュラードライバー契約結んだことを発表した。また1月19日にはマクラーレンテストドライバーを2003年から務め経験豊富ペドロ・デ・ラ・ロサ起用することを発表した2010年3月3日FIA2010年のF1エントリーリストを発表この中でチームは、チーム名BMWザウバーF1チーム」・コンストラクター名「BMWザウバー・フェラーリ」で登録された。名称変更はなされず「BMW」のブランド名残った。これは、2009年度の「BMWザウバーチーム」としての6位という戦績分配金確実に受け取るための措置として行ったものであり、この名称変更FIA申請行っていた。この申請FIA受理され2011年より「ザウバー・F1チーム」に名称変更することが正式に認められた。 前半戦ザウバー・C29脆弱性否めず、第6戦モナコGPまでに両ドライバー合わせ10回のリタイア喫し(うち決勝不出走 (DNS) 1回この間完走率は全チーム最下位であったフェラーリマシン搭載されエンジン信頼性難点があったことを認め本家フェラーリエンジン改良施し解決したが、ザウバーに関してはその問題続いてしまった。これにはフェラーリのテストドライバーマルク・ジェネもあまりにも多発する為に不可解だ」と語るほどであった。しかし中国グランプリから加入したジェームス・キー懸命なマシン改良によって信頼性戦闘力改善しトルコGPでこのシーズン初のダブル完走果たし小林に関して10入賞果たしたその後ヨーロッパGPで7位、イギリスGPで6位完走健闘している。デ・ラ・ロサに関してヨーロッパGPペナルティなければ10位で入賞していたことになり、イギリスGPでは予選9位を獲得するなどマシンパフォーマンスに明確な改善見られた。ハンガリーGPでは、このシーズン初のダブル入賞果たした2010年9月14日シンガポールGPからシーズン末まで、2009年までBMWザウバーのレギュラードライバーであったニック・ハイドフェルド復帰デ・ラ・ロサ離脱発表した2011年 2011年シーズン向けて小林2010年9月残留確定10月4日カルロス・スリムCEO務めメキシコ大手通企業テルメックススポンサーを行うことを発表同時に小林チームメイトとして2010年度GP2シリーズ2位を獲得したメキシコ人ドライバーセルジオ・ペレス加入発表した。なおその他に2010年度のGP3チャンピオンとなったメキシコ人ドライバーエステバン・グティエレスリザーブテストドライバーとして契約したことを発表している。 2012年 2011年引き続き、同じラインアップとなった。第2戦マレーシアグランプリでは、ペレス優勝したアロンソペース上回るペース快走し、ザウバーチーム(BMW時代を除く)として初となる2位獲得した。続く、第3戦の中国グランプリでは小林予選3位ハミルトン順位降格前は4位)を獲得し優勝期待されたが、スタート順位大きく下げた。しかし、小林終盤巻き返し、サウバーチーム(BMW時代を除く。)として初めファステストラップ獲得したその後も、第6戦のモナコグランプリペレスファステストラップ記録し、続く第7戦のカナダグランプリ3位第13戦イタリアグランプリでは2位獲得した一方で小林第12戦ベルギーグランプリでザウバーチームとして13年ぶりに予選2位獲得し、第15戦の日本グランプリでも予選3位決勝では3位獲得したBMW時代を除くザウバーチームとしては過去最高の記録残した好成績残したペレスマクラーレン契約小林翌年シート対しペレス離脱した分の持参金要求されチーム去ったチーム創設者であるザウバー69歳誕生日前(第16戦韓国グランプリ開幕前日)にチーム代表退いた後任モニシャ・カルテンボーンで、チーム株式3分の1譲り受けた女性チーム代表となることは、F1史上初めてのことである。 2013年 ドライバーラインナップを一新フォース・インディアからニコ・ヒュルケンベルグ移籍。また前年テストドライバーであった エステバン・グティエレス がレギュラードライバーに昇格した。またリザーブドライバーにはロビン・フラインス就いたこの年の車 C32車体配色前年までの白からグレー変更1990年代ザウバーの車に似たものとなった。 第2戦マレーシアGPにてヒュルケンベルグが8位を獲得したものの、C32前年の車ほどの戦闘力が無いことは明らかで、ヒュルケンベルグでも10位がやっとであった新人グティエレスベルギーグランプリまでポイント獲得できなかった。しかし、このような状況の中、中盤車体改良成功し予選決勝とも以前より明らかに成績が向上。第12戦イタリアGPでは、ヒュルケンベルグ地元かつエンジン供給元のフェラーリ2台を打ち破り予選3位獲得し衝撃与えた7月15日セルゲイ・シロトキン開発ドライバーとして加入したことが発表された。これはロシア企業との契約一部であり、2014年レースドライバー契約含まれるとされた。第14シンガポールGPでは、ヒュルケンベルググティエレス双方ポイント圏内である6位と7位を走行していたが、タイヤの摩耗原因となり、ヒュルケンベルグが9位入賞とどまりグティエレス12位に終わった。第15韓国GPでは、ヒュルケンベルグ改善見せ4位入賞。この結果コンストラクターズポイントトロ・ロッソ抜き7位に浮上した第16戦日本GPでは、2013年シーズン初めてのダブル入賞ヒュルケンベルグレース大部分で4位を走行していたが終盤アロンソライコネン抜かれ6位、グティエレスニコ・ロズベルグとの接戦制して7位となった最終の2戦でもヒュルケンベルグポイント獲得ザウバー57ポイント獲得しコンストラクターズで7位となった

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