2010年 - 2013年 プライベーターとして再出発
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「ザウバー」の記事における「2010年 - 2013年 プライベーターとして再出発」の解説
2010年 BMWが2009年シーズン中に撤退を発表し、新たに策定されたコンコルド協定にサインしなかったため、一旦は2010年のエントリーから除外された。その後チームの売却先を検討の末、元オーナーでチームの創始者でもあるペーター・ザウバーに売却することを決定した。直後よりペーターはエントリー申請を行い、トヨタの撤退により参戦枠が1つ空いたこともあって、12月4日にFIAよりエントリーが認められた。 12月17日、小林可夢偉と2010年のレギュラードライバー契約を結んだことを発表した。また1月19日にはマクラーレンテストドライバーを2003年から務める経験豊富なペドロ・デ・ラ・ロサを起用することを発表した。 2010年3月3日、FIAが2010年のF1エントリーリストを発表。この中でチームは、チーム名「BMWザウバーF1チーム」・コンストラクター名「BMWザウバー・フェラーリ」で登録された。名称変更はなされず「BMW」のブランド名が残った。これは、2009年度の「BMWザウバーチーム」としての6位という戦績の分配金を確実に受け取るための措置として行ったものであり、この名称変更をFIAに申請を行っていた。この申請がFIAに受理され、2011年より「ザウバー・F1チーム」に名称変更することが正式に認められた。 前半戦はザウバー・C29の脆弱性は否めず、第6戦モナコGPまでに両ドライバー合わせ10回のリタイアを喫し(うち決勝不出走 (DNS) 1回)この間の完走率は全チーム最下位であった。フェラーリはマシンに搭載されるエンジンの信頼性に難点があったことを認め、本家フェラーリのエンジン改良を施し解決したが、ザウバーに関してはその問題が続いてしまった。これにはフェラーリのテストドライバーマルク・ジェネもあまりにも多発する為に「不可解だ」と語るほどであった。しかし中国グランプリから加入したジェームス・キーの懸命なマシン改良によって信頼性と戦闘力を改善し、トルコGPでこのシーズン初のダブル完走を果たし、小林に関しては10位入賞を果たした。その後ヨーロッパGPで7位、イギリスGPで6位完走と健闘している。デ・ラ・ロサに関してもヨーロッパGPでペナルティがなければ10位で入賞していたことになり、イギリスGPでは予選9位を獲得するなどマシンパフォーマンスに明確な改善が見られた。ハンガリーGPでは、このシーズン初のダブル入賞を果たした。 2010年9月14日、シンガポールGPからシーズン末まで、2009年までBMWザウバーのレギュラードライバーであったニック・ハイドフェルドの復帰とデ・ラ・ロサの離脱を発表した。 2011年 2011年シーズンに向けて、小林は2010年9月に残留が確定。10月4日にカルロス・スリムがCEOを務めるメキシコの大手通信企業テルメックスがスポンサーを行うことを発表。同時に小林のチームメイトとして2010年度のGP2でシリーズ2位を獲得したメキシコ人ドライバーのセルジオ・ペレスの加入を発表した。なおその他にも2010年度のGP3チャンピオンとなったメキシコ人ドライバーのエステバン・グティエレスをリザーブ兼テストドライバーとして契約したことを発表している。 2012年 2011年に引き続き、同じラインアップとなった。第2戦マレーシアグランプリでは、ペレスが優勝したアロンソのペースを上回るペースで快走し、ザウバーチーム(BMW時代を除く)として初となる2位を獲得した。続く、第3戦の中国グランプリでは小林が予選3位(ハミルトン順位降格前は4位)を獲得し、優勝も期待されたが、スタートで順位を大きく下げた。しかし、小林は終盤で巻き返し、サウバーチーム(BMW時代を除く。)として初めてファステストラップを獲得した。その後も、第6戦のモナコグランプリでペレスがファステストラップを記録し、続く第7戦のカナダグランプリで3位、第13戦イタリアグランプリでは2位を獲得した。一方で、小林も第12戦のベルギーグランプリでザウバーチームとして13年ぶりに予選2位を獲得し、第15戦の日本グランプリでも予選3位、決勝では3位を獲得した。BMW時代を除くザウバーチームとしては過去最高の記録を残した。 好成績を残したペレスはマクラーレンと契約、小林は翌年のシートに対しペレスが離脱した分の持参金を要求され、チームを去った。 チーム創設者であるザウバーは69歳の誕生日前(第16戦韓国グランプリ開幕前日)にチーム代表を退いた。後任はモニシャ・カルテンボーンで、チームの株式の3分の1を譲り受けた。女性がチーム代表となることは、F1史上初めてのことである。 2013年 ドライバーラインナップを一新。フォース・インディアからニコ・ヒュルケンベルグが移籍。また前年テストドライバーであった エステバン・グティエレス がレギュラードライバーに昇格した。またリザーブドライバーにはロビン・フラインスが就いた。 この年の車 C32 は車体の配色を前年までの白からグレーに変更。1990年代のザウバーの車に似たものとなった。 第2戦マレーシアGPにてヒュルケンベルグが8位を獲得したものの、C32は前年の車ほどの戦闘力が無いことは明らかで、ヒュルケンベルグでも10位がやっとであった。新人のグティエレスはベルギーグランプリまでポイントが獲得できなかった。しかし、このような状況の中、中盤で車体改良が成功し予選決勝とも以前より明らかに成績が向上。第12戦イタリアGPでは、ヒュルケンベルグが地元かつエンジン供給元のフェラーリ2台を打ち破り予選3位を獲得し衝撃を与えた。7月15日、セルゲイ・シロトキンが開発ドライバーとして加入したことが発表された。これはロシア企業との契約の一部であり、2014年のレースドライバー契約も含まれるとされた。第14戦シンガポールGPでは、ヒュルケンベルグとグティエレスの双方がポイント圏内である6位と7位を走行していたが、タイヤの摩耗が原因となり、ヒュルケンベルグが9位入賞にとどまり、グティエレスは12位に終わった。第15戦韓国GPでは、ヒュルケンベルグが改善を見せ4位入賞。この結果コンストラクターズポイントでトロ・ロッソを抜き7位に浮上した。第16戦日本GPでは、2013年シーズン初めてのダブル入賞。ヒュルケンベルグはレースの大部分で4位を走行していたが終盤アロンソとライコネンに抜かれ6位、グティエレスはニコ・ロズベルグとの接戦を制して7位となった。最終の2戦でもヒュルケンベルグはポイントを獲得。ザウバーは57ポイントを獲得し、コンストラクターズで7位となった。
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