2000年代 - 黄金時代、4度の南米王者、2度の世界王者
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「ボカ・ジュニアーズ」の記事における「2000年代 - 黄金時代、4度の南米王者、2度の世界王者」の解説
2000年代に入ってもビアンチに率いられたこのチームは好調を維持した。 ボカは2000年のコパ・リベルタドーレスに参加して、準々決勝で宿敵リーベル・プレートを倒すと、決勝まで勝ち進んだ。決勝戦はSEパルメイラスと対戦した。ボカは第1戦をホームで2-2と引き分けてしまったが、第2戦のアウェー・ゲームを耐えて0-0で引き分けた。そして大会規定によりペナルティ・キック戦が行われた。ボカはこのPK戦に勝利してパルメイラスを倒して22年振り3回目の南米王者となった。そして、2000年11月28日、東京で、ボカは欧州王者レアル・マドリードと世界一の座を懸けてインターコンチネンタル・カップを戦った。レアル・マドリード有利の前評判を覆し、ボカは22年ぶりの世界王者に輝いた。そしてアルゼンチンに帰国後、ボカは2000-01シーズン前期にも優勝した。これにより2000年シーズン、ボカは国内リーグ、コパ・リベルタドーレス、インターコンチネンタル・カップに優勝して3冠を達成した。この年は国際舞台でその強さを証明することに成功した。 翌2001年にボカは再びコパ・リベルタドーレス決勝へ勝ち進み、クルス・アスルと対戦して第1戦アウェーで1-0と勝利したが、第2戦のホーム・ゲームで0-1と敗北して、昨シーズンの決勝同様またしてもペナルティー・キック戦となった。ボカはこのPK戦に勝利してクルス・アスルを倒してコパ・リベルタドーレス2連覇を達成した。そして2001年11月27日、東京で、ボカは欧州王者バイエルン・ミュンヘンと世界一の座を懸けてインターコンチネンタル・カップ戦った。この試合、バイエルン優勢で試合は進み、前後半終了して0-0で延長戦となった。そして延長後半2分、ボカはサミュエル・オセイ・クフォーに得点奪われて、バイエルンに敗北した。これによりボカの世界2連覇の夢は潰えた。そしてこの試合後、チームは帰国して2001-02シーズン前期の戦いを再開して、2位の成績で終了した。このシーズン後、ビアンチ監督は敗北の責任を取り退任した。ビアンチ監督は僅か3年半の在任期間で3度の国内リーグ優勝(1998-99前期、1998-99後期、2000-01前期)と2度の南米王者(2000年、2001年)、そして1度の世界王者(2000年)を果たした。この黄金時代のチームには、パレルモ、バロスケロット、リケルメ、セルナ、ベルムーデス、コルドバの他にセバスティアン・バタグリア、ウーゴ・イバーラ、ロランド・スキアビ、ニコラス・ブルディッソ、マルセロ・デルガドなどがいた。また、2001-02シーズン前期は、カルロス・テベスがプロ・デビューを果たした(2001年10月21日、タジェレス・デ・コルドバ戦)。 2001-02シーズン後期から、ボカの監督にオスカル・タバレスが復帰した。しかし、国内リーグ優勝を逃し、2002年コパ・リベルタドーレスでも準々決勝でオリンピア・アスンシオンに敗北した(この後、リケルメはボカを退団してFCバルセロナへ移籍した)。その後ボカは2002-03シーズン前期でも優勝を逃した。この結果、タバレス監督は無冠の責任を取り退任した。 2002-03シーズン後期、再びカルロス・ビアンチが監督に就任した。ボカは2003年コパ・リベルタドーレスで決勝まで勝ち進みサントスFCを下して優勝を果たした。ボカは5度目の南米王者を達成した。この大会ではカルロス・テベスの活躍が光った。そして2003年12月14日、横浜で、ボカは欧州王者ACミランと世界一の座をかけてインターコンチネンタル・カップを戦った。この試合も前評判ではACミラン有利と予想されていた。しかし、ボカは互角に戦い延長戦でも決着が着かず、ペナルティー・キック戦となった。ボカはこのPK戦に勝ち、ACミランを破り優勝を果たした。ボカは3度目の世界王者に輝いた。そして、アルゼンチン帰国後、2003-04シーズン前期を戦い、優勝した。これにより2003年シーズン、ボカはコパ・リベルタドーレス、インターコンチネンタル・カップ、国内リーグを優勝して再び3冠を達成した。ビアンチ監督は復帰1年目でボカを再び世界チャンピオンに導き、更に3冠達成まで成し遂げた。このチームにはテベス、バロスケロット、デルガド、ブルディッソ、スキアビの他にディエゴ・カーニャ、ラウル・カッシーニ、ルイス・ペレア、クレメンテ・ロドリゲス、ロベルト・アボンダンシェリ、ペドロ・イアルレイなどがいた。 翌2004年シーズン、ボカはコパ・リベルタドーレスで再び決勝まで勝ち進み、コロンビアのオンセ・カルダスと対戦した。ボカは第1戦、エースのカルロス・テベスを出場停止で欠き、ホームで0-0で引き分けてしまった。そして第2戦のアウェー・ゲームも1-1で引き分けた。そして大会規定によりペナルティー・キック戦が行われた結果、オンセ・カルダスに敗北した。国内でもボカは2003-04シーズン後期は2位となり優勝を逃した。この2つの敗北の責任を取り、ビアンチ監督は辞任した。 この後、ミゲル・ブリンディシが監督に就任した。しかし、成績不振により2004-05シーズン前期途中に辞任した。その後ホルヘ・ホセ・ベニテスが監督に就任した。ボカはベニテス監督の下、2004年コパ・スダメリカーナで決勝まで勝ち進みクルブ・ボリバルを倒して優勝した。このチームにはパレルモ、バロスケロット、テベス、アンドレス・グリエルミンピエトロ、カーニャ、スキアビ、アボンダシエリなどがいた。この大会後、テベスはボカを退団した。テベスはリケルメ退団の穴を埋めて、ボカ在籍中に2003年、2004年と2年連続で南米年間最優秀選手賞を受賞した。 2005-06シーズン前期にアルフィオ・バシーレが監督に就任した。そしてボカはフェデリコ・インスア、ロドリゴ・パラシオ、ダニエル・ディアス、ダニエル・ビロスなどを獲得して大補強を行った。バシーレはパレルモとパラシオを2トップに起用し、司令塔をインスーアに担わせ、そして下部組織出身のボランチフェルナンド・ガゴを先発起用した。この布陣がうまく行き、ボカは2005-06シーズン前期に優勝を果たした。そして前年同様、ボカはコパ・スダメリカーナでも決勝へ勝ち進み、クルブ・ウニベルシダ・ナシオナルを下してこの大会2連覇を達成した。ボカは2005-06シーズン後期にも優勝したので国内で2期連続優勝を達成した。そしてボカは2006年レコパ・スダメリカーナでサンパウロFCも下して優勝した。バシーレは就任1年間で即座に4つのタイトルを獲得した。バシーレ監督はこの業績によりアルゼンチン代表監督のオファーを受けて代表監督に就任した。 2006-07シーズン前期、リカルド・ラ・ボルペが監督に就任した。このシーズンは最終節を終了して、ボカはエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタと同勝ち点で1位であった。この為、両チームによるプレイオフが行われた。この試合にボカは1-2で敗れて優勝を逃し、ラ・ボルペ監督は退任した。 2006-07シーズン後期にミゲル・アンヘル・ルッソが監督に就任した。そしてフアン・ロマン・リケルメが欧州からボカに復帰した。ボカは2007年のコパ・リベルタドーレスで決勝まで勝ち進み、決勝戦ではグレミオFBPAを下して6度目の南米王者に輝いた。このチームにはリケルメの他にパレルモ、パラシオ、エベル・バネガ、クレメンテ・ロドリゲス、ダニエル・ディアス、アボンダンシエリなどがいた。そしてボカは2007年のFIFAクラブワールドカップに出場したが、リケルメはビジャレアルCFとの契約上の問題からボカの選手としてこの大会に参加することができなかった。チームの司令塔を欠いた影響は大きく、ボカは決勝でACミランに2-4と惨敗をした。 2008年1月、カルロス・イスチアが監督に就任した。ボカは2008年のコパ・リベルタドーレスは準決勝まで進んだがフルミネンセFCに敗北した。ボカは国内リーグも2位に終わり優勝を逃した。しかし、2008年8月に行われたレコパ・スダメリカーナで、ボカはアルセナルFCを下して優勝した。その後、ボカは2008-09シーズン前期を3チーム参加のプレイオフ戦を経て、優勝した(この2008-09シーズン前期は最終節を終了した段階で、ボカ、CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ、CAティグレの3チームが同勝ち点で並んだ。その為、3チームによるプレイ・オフが行われるという珍しい展開となった)。このチームにはリケルメ、バタグリア、イバーラの他にルーカス・ビアトリ、ガブリエル・パレッタ、ヘスス・ダトロなどがいた。しかし、2008-09シーズン後期からボカは酷い低迷を始めて、この後、4期続けて順位が10位以下という大不振に陥った。しかし、この低迷期にマルティン・パレルモが2008-09シーズンの後期の対CAウラカン戦(2009年3月1日)で得点を挙げてボカ・ジュニアーズで通算195得点となり、フランシスコ・バラージョが持つクラブ最多得点(194得点)の記録を破る偉業が達成された。 2000年代、ボカは通算10個の国際タイトルを獲得して、国際舞台で大きな成功を収めた。
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