2000年代・終焉へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 14:37 UTC 版)
ユニバーサルスタジオジャパン、東京ディズニーシーという大規模なテーマパークが開業し、日本各地の遊園地の入園者数が減少しつつあった2001年に「マッハセブン」を「4-Dモーションシアター」に改装する形でオープン。2002年から2004年にかけて「キッズドライブ」「キッズバイク」など子供向けのゴーカート系アトラクションを、「外輪船」などを廃止させて跡地に設置する形でオープンさせた。園内随一の絶叫マシン「ワイルドリバーアドベンチャー」が2003年暮れ頃に8年間の営業で終了し、続いて「UFO」と「カナディアンジェットライダー」も運行を終了し、絶叫マシンは「スペースショット」のみとなる。 2006年に「ACRO(アクロ)-X」、2007年に「ドリームX」と新型のゴーカートアトラクションを導入。カード系アトラクションの充実を図り、施設名称通りの『モートピア(モーターのユートピア)』への回帰と再興を図る趣きも見られたが、どちらも幼児・小児の家族連れ向きのアトラクションであり、テーマパークの客層である中高生以上の若年層やカップルの多摩テック離れが進んだ。 1990年代以降は一般に頒布する割引券に加え、朝日新聞友の会の朝日メイト・読売新聞購読者の読売ファミリーサークル・UFJカード会員・ホンダ車ディーラー得意客などを対象に招待デーを設け、廉価でフリーパスを販売するなどして集客を図るが、1999年以降は営業利益を出せずに経常損失を計上した。入場者は100万人を超えた2002年以降に減少を続け、2007年から2008年の世界金融危機などにより、本田技研工業は不採算事業からの撤退を2009年2月に発表した。 閉園前の春休み・ゴールデンウィーク・夏休み・シルバーウィークと9月最終週は、多数の来場客で人気アトラクションは長い待ち時間を要するなど大変に混雑した。多摩テックは2009年9月30日22時に、モートピアは19時に終園した。最終営業は「クア・ガーデン」で、招致した音楽家や従業員による生演奏や歌唱など特別編成のロビーコンサートを昼間から閉館まで続けて実施し、通常通り22時に閉館した。来館者数が多く、送迎バスの最終便はクア・ガーデンとモートピアで数十人の利用客を残して臨時便が増発された。JR中央線豊田駅側から見えた観覧車およびスペースショットは、施設閉鎖後にすべて解体された。
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