2000年代:改修工事開始
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「ニューヨーク公共図書館本館」の記事における「2000年代:改修工事開始」の解説
1990年代後半から、本館南側の中庭であるサウスコートに4階建てのガラス製建造物が建てられた。建築費は2,220万ドルで、床面積は42,220平方フィート(3,922平方メートル)であった。2002年に解放されたサウスコートの建造物は本館開館以来初めて地上に追加されたものであった。ブライアント・パークのポップアップ閲覧室は2003年夏に再設立された。"部屋"には700冊の本と300冊の定期刊行物が置かれていた。 2004年までに公害と湿気を原因とし白い大理石には黒い線が入り、コーニスの縁や彫刻面の模様などの建築の細部、装飾用の彫像などが腐食していた。ニューヨーク・タイムズの記事では"自動車のタイヤが通過することによって散乱したゴムの小さな粒子が建物の上に蓄積し、大理石を石膏に変えるために水と徐々に混合して、それは砂糖効果で外層を崩壊させる" (Tiny particles of rubber scattered by passing car tires have accumulated on the building, mixing gradually with water to turn the marble into gypsum, which causes the outer layer to crumble in a sugaring effect) と書かれた。2005年12月には彫刻が施された木、大理石、金属細工、ライオネル・ピンカスとフィリヤル王妃地図部門のスペースが修復された。 2007年にニューヨーク公共図書館は、風化と自動車排気ガスのために老朽化の進んだ建物外装を5,000万ドルの費用を掛け3年間行われる改修工事を行うことを発表した。大理石と彫刻の清掃、 3000個のひびの修復、屋根、階段、広場の改修が行われ作業は開館100周年となる2011年までに終了する予定であった。第108代ニューヨーク市長マイケル・R・ブルームバーグはフランス共和国パリ市長に、パリ市の記念碑、建造物、および公的建造物の照明を担当するパリ市の技術者フランソワ・ジュースの採用許可を求めた。2007年、ニューヨーク公共図書館館長のポール・ルクレールは「私はこれがとても美しくとても重要なので、これをニューヨークで夜間に見なければならない建物にすることを目指しています。(my ambition is for this to be the building you simply must see in New York at nighttime because it is so beautiful and it is so important.)」と述べた。2007年末までに図書館職員は損傷した彫刻を修復するか、単純に綺麗に清掃し"安定させる"ことを試みるかを決定していなかった。清掃にする場合はレーザーを使用するか、湿布を張ってそれを剥がすかのどちらかで行われる予定であった。 2008年4月、ニューヨーク公共図書館は本館の改修と拡張に1億ドルを寄付したスティーブン・A・シュワルツマンに敬意を表し本館の名前を改名することを発表した。シュワルツマンの名は全ての一般来館者用出入口に刻まれている。同年後半、イギリスの建築家ノーマン・フォスターが本館の改装をデザインするために選ばれた。改装費用を支払うためにニューヨーク公共図書館はミッド・マンハッタン図書館とドネール分館を売却しようとしていた。ニューヨーク・タイムズの建築批評家ニコライ・ウルソフは、図書館がフォスターを選んだことについて"私たちの心に安らぎを与えるべきである図書館による一連の巧妙な決定のうちの1つ" (one of a string of shrewd decisions by the library that should put our minds at ease) としている。
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