2代目 S10型(1975年 - 1979年)
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「日産・シルビア」の記事における「2代目 S10型(1975年 - 1979年)」の解説
2代目シルビアは当初、500cc×2ローターのロータリーエンジンを搭載し、1973年(昭和48年)秋頃の発表が予定されていた[出典無効]。しかし直前に勃発した中東戦争によるオイルショックを受け、日産は燃費の悪いロータリーエンジンを搭載しての発売を断念。設計変更を経て、既存のL18型レシプロエンジンを搭載し、2年越しのデビューにこぎつけた。 1975年(昭和50年)10月、A-S10型発売。日本国内の車名は「ニューシルビア」で、エンブレムにも「NEW」の文字が見られる。このエンブレムは最後まで「NEW Silvia」と書かれており、前期型のエンブレムはCSP311型シルビアと同じ字体だった。コンセプトは初代とはうって変わり、北米市場向けの「セクレタリーカー」として開発された。うねりの強いスタイリングから、「ハマグリ」の愛称を持つ。イメージ・キャラクターには、当時人気だった女優シルビア・クリステルを起用していた。 プラットフォームはB210型サニーをベースとしており、サスペンションはフロントがストラット式、リアがリーフリジッド式を採用している。ハードウエアの面でも初代との繋がりは全くない。 エンジンは、昭和50年排出ガス規制対応のための排ガス対策システムであるNAPSを備えた、シングルキャブレターのL18型(105PS)を搭載。 1976年(昭和51年)5月、NAPSを備えた電子制御式燃料噴射のL18E型(115PS)を搭載したLSEシリーズが追加。従来のキャブ仕様のLSシリーズもそのまま併売され、全車が昭和51年排出ガス規制対応となる。この時からLS・LSEともに型式がB-S11型に変更された。 1977年(昭和52年)8月、マイナーチェンジ。フロントグリルの意匠変更とフロントバンパー四隅へ対衝撃ゴムが配置された後期型へ移行。エンブレムの書体もこの時から新デザインへ変更。最上級グレードであるType Gも設定された。 1977年(昭和53年)9月、専用ツートンカラーにアクセントストライプ、ボディ同色フェンダーミラー、専用シート(綾織生地)、専用バッジなどを装備した限定車「セレクトモデル」を追加設定。 なお、2代目シルビアについては「後期型へのマイナーチェンジ時に型式がS11へ変更され、キャブ仕様のLSシリーズから電子制御式燃料噴射仕様のLSEシリーズに移行した」と受け取れる記述を行っている資料も多いが、前述の通り、型式変更は前期型の途中にLSEシリーズが追加され全車が昭和51年排出ガス規制に対応した際のことであり、また後期型においてもLSシリーズは継続販売されていた。 直線的な美しいデザインを持つ初代とは対照的に、北米受けを狙った2灯式ヘッドランプやスタイリングは日本の顧客には共感を得られず、国内販売台数は月2,000台ほどと、ライバルのトヨタ・セリカには遠く及ばず不振だった。 この世代の北米向けモデルで初めてSXの車名が使われた。名称はDatsun 200SX。通称5マイルバンパーと呼ばれる大型バンパーを前後に装着していた。 販売終了前月までの新車登録台数の累計は4万8438台
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