1958年 - 1977年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:43 UTC 版)
「立正佼成会」の記事における「1958年 - 1977年」の解説
日本が復興し、経済力を身に着けていくと同時に、次なる段階に入った。1957年9月10日に長沼副会長が死去すると、宗教の役割は人生の悩みや苦しみを解決する事だけでは無く、人格の向上、幸せな家庭や平和な社会を築いていくことも重要と位置づけた。長沼副会長を筆頭に行っていた霊能指導を払拭し、根本仏教や法華経の研鑽への回帰を強く打ち出し、活動の中心も法華経を背景とする先祖供養・教学研修・人間修養へと移していく。長沼副会長没後 - 創立40年の期間を『真実顕現の時代』と呼称している。 他の宗派・教団との連携や交流も早くから着手し、交流も盛んに行った。また、庭野開祖会長が提唱した「宗教対話」の精神に則り、世界宗教者平和会議(WCRP)、新日本宗教団体連合会(新宗連)に創立メンバーとして参加した。 1958年1月5日 本会の本尊が「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊(くおんじつじょうだいおんきょうしゅしゃかむにせそん)」であることを宣言、『真実顕現の時代』を迎える 1959年9月21日 同年3月、東京・千代田区に国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑創建を機に、「第1回戦没者慰霊祭(後の千鳥ヶ淵戦争犠牲者慰霊法要並びに平和祈願式典)」を開催 1960年6月1日 名称を「立正交成会」から「立正佼成会」に改める 7月16日 箱根の三昧荘にて、庭野開祖会長が大聖堂(現 本部修養道場)に勧請する本尊像に納めるための法華三部経の写経(胎内経)を始める 1962年6月1日 会員綱領を発表(これは立正佼成会青年部綱領を基に加筆したもの) この頃、庭野開祖会長の指示で統一教会の教えを学んでいた青年部50名ほどが同会に転じ、庭野開祖会長秘書(当時)だった久保木修己が統一教会日本教会長になったのを初め、統一教会幹部となる者を多数発生させた。のちに久保木修己は除籍処分 1963年9月14日 庭野開祖会長が「核兵器禁止宗教者平和使節団」副団長として欧米諸国を訪問。ローマ教皇パウロ6世と会見し平和提唱文を手渡す 1964年5月15日 - 5月17日 立正佼成会大聖堂落成式典 1965年9月14日 庭野開祖会長がイタリアのローマで開かれた第2バチカン公会議の開会式に出席。ローマ教皇パウロ6世と会見 1969年4月27日 高松市で第1回「明るい社会づくり運動推進大会」を開催 7月18日 庭野開祖会長が第20回IARF(国際自由宗教連盟)世界大会に出席 1970年4月28日 立正佼成会普門館落成式典 10月16日 第1回WCRP(世界宗教者平和会議)が京都で開催され、この会の提唱者でもある庭野開祖会長が共同議長を務める 12月18日 ベトナム戦争激化の折、庭野開祖会長が「日本宗教連盟ベトナム視察団」団長として出発 1973年5月4日 WCRPが国連NGO(非政府機関)として正式加盟 7月18日 第1回「立正佼成会青年の船」がフィリピンなどに就航 1974年8月28日 第2回WCRP(ベルギー・ルーヴェン)に参加 1975年3月5日 庭野開祖会長がミードビル・ロンバード神学大学院から名誉法学博士号を受ける 4月8日 フィリピン・バターンにフレンドシップ・タワーを建立 1976年5月28日 庭野開祖会長が第1回「ユニクェスト・シュバイツァー賞」を受賞 11月25日 第1回ACRP(アジア宗教者平和会議)がシンガポールに参加 1977年4月7日 小湊、若狭の両教会でベトナム難民を受け入れ
※この「1958年 - 1977年」の解説は、「立正佼成会」の解説の一部です。
「1958年 - 1977年」を含む「立正佼成会」の記事については、「立正佼成会」の概要を参照ください。
- 1958年 - 1977年のページへのリンク