1958-1969
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「ランブラー (自動車)」の記事における「1958-1969」の解説
1960年代にはジョージ・ロムニーが「さまざまなランブラーモデルを統合し、ひとつのランブラーブランド名の下に販売する」という方針を打ち出した。1962年には最上級グレード(top-trim level model)のAMCアンバサダーがランブラー名のもとで公式に発売された。それ以前はアンバサダー by ランブラー("Ambassador by Rambler")だった。ランブラー・シックスとランブラー・ラベルV8はランブラー・クラシックとされた。(注記:1958年から1961年まで最上級グレードは"Ambassador V-8 by Rambler"と宣伝されたが公式には常に"Rambler Ambassador"だった。) ロムニーは、製造コストをそぎ落とすことに専心し、部品の多くをアンバサダーとクラシックで共有させた。1962年初頭に上級ランブラーモデルはすべて同じホイールベースと車体部品となった。エンジンとトリムと装備がクラシックとアンバサダーとの違いとなった。ボディの外板は1963年の新型アンバサダー/クラシックの車体と1964年アメリカンの車体で共通化された。 1963年にはランブラーシリーズ全体でモータートレンド誌のカー・オブ・ザ・イヤーを受賞。ロムニーはミシガン州知事になった。ロイ・アバネシー(Roy Abernethy)が後任となり、ビッグスリーと競う方針を引き継いだ。アバネシーは、目標と定めた市場分野では「ランブラー」ブランドは障害になると考えた。そこでアバネシーはランブラーにこだわらず、ボディやプラットフォームのバリエーションでさまざまなバリエーションのモデルを送り出すこととした。 1965年式ランブラーがその第一弾だった。まだほとんどの部品が共通化されていたがクラシックとアンバサダーは外観を変えた。アンバサダーは再び長いホイールベースとし、ユニークな見栄えとなった。加えて、ハードトップクーペのマーリン(Marlin)を出し、スポーティなファストバック市場に参入した。 次いで、アバネシーは市場調査を裏づけとして取締役会を説得にかかった。ランブラーはやぼったいイメージ(stodgy image)で販売増を狙うための障害となるだけでなく、消費者一般はランブラーを(小型車として販売されてきた従前の経緯から)コンパクトカーとして見ているということだった。1966年に開始したAMCブランドに力を入れマルチプラットフォームの自動車メーカーとなるためAMCはランブラーの段階的廃止を開始した。 1968年のAMCランブラーはコンパクトカーだがしっかりしたエコノミーカーとして作られていたランブラー・アメリカンのみだった。AMCはハーストパフォーマンスと共同開発したマッスルカーのSC/Ramblerを発売した。最後の年の1969年には、単にランブラーとなった。最後の一台は1969年6月30日に生産された。ケノーシャの生産ラインで製造されたランブラー車は420万台を超えた。
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