1958-1969とは? わかりやすく解説

1958-1969

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/18 05:11 UTC 版)

ランブラー (自動車)」の記事における「1958-1969」の解説

1960年代にはジョージ・ロムニーが「さまざまなランブラーモデルを統合し、ひとつのランブラーブランド名の下に販売する」という方針打ち出した1962年には最上級グレード(top-trim level model)のAMCアンバサダーランブラー名のもとで公式に発売された。それ以前アンバサダー by ランブラー("Ambassador by Rambler")だった。ランブラー・シックスとランブラー・ラベルV8ランブラー・クラシックとされた。(注記1958年から1961年まで最上級グレードは"Ambassador V-8 by Rambler"と宣伝されたが公式には常に"Rambler Ambassador"だった。) ロムニーは、製造コストそぎ落とすことに専心し部品多くアンバサダーとクラシックで共有させた。1962年初頭上級ランブラーモデルはすべて同じホイールベース車体部品となったエンジントリム装備がクラシックとアンバサダーとの違いとなったボディ外板1963年新型アンバサダー/クラシックの車体1964年アメリカン車体共通化された。 1963年にはランブラーシリーズ全体でモータートレンド誌のカー・オブ・ザ・イヤー受賞ロムニーミシガン州知事になった。ロイ・アバネシー(Roy Abernethy)が後任となり、ビッグスリー競う方針引き継いだ。アバネシーは、目標定めた市場分野では「ランブラーブランド障害になると考えた。そこでアバネシーはランブラーこだわらずボディプラットフォームバリエーションさまざまなバリエーションモデル送り出すこととした。 1965年ランブラーがその第一弾だった。まだほとんどの部品共通化されていたがクラシックとアンバサダー外観変えたアンバサダーは再び長いホイールベースとし、ユニークな見栄えとなった加えて、ハードトップクーペのマーリン(Marlin)を出し、スポーティなファストバック市場参入した次いで、アバネシーは市場調査裏づけとして取締役会説得かかったランブラーやぼったいイメージ(stodgy image)で販売増を狙うための障害なるだけでなく、消費者一般ランブラーを(小型車として販売されてきた従前経緯から)コンパクトカーとして見ているということだった。1966年開始したAMCブランド力を入れマルチプラットフォーム自動車メーカーとなるためAMCランブラー段階的廃止開始した1968年AMCランブラーコンパクトカーだがしっかりしたエコノミーカーとして作られていたランブラー・アメリカンのみだった。AMCはハーストパフォーマンスと共同開発したマッスルカーのSC/Ramblerを発売した最後の年1969年には、単にランブラーとなった最後一台1969年6月30日生産された。ケノーシャ生産ライン製造されランブラー車は420台を超えた

※この「1958-1969」の解説は、「ランブラー (自動車)」の解説の一部です。
「1958-1969」を含む「ランブラー (自動車)」の記事については、「ランブラー (自動車)」の概要を参照ください。

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