1955年 - 2006年-南岳山頂火口活動期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 16:24 UTC 版)
「桜島」の記事における「1955年 - 2006年-南岳山頂火口活動期」の解説
1954年12月末頃から火山性地震が増加し、1955年(昭和30年)10月に南岳山頂火口で大量の噴石を噴出する爆発と強烈な空震を伴う噴火があり、死者1名、負傷者11名を出した。これ以降、南岳山頂付近は立ち入り禁止となった。以後の噴火はそのほとんどが南岳山頂火口で起きている。噴火活動の再開を受けて1960年(昭和35年)に桜島火山観測所が開設された。1967年(昭和42年)8月の噴火において火砕流が発生するなど活発な噴火活動も見られたが、1960年を境にして爆発回数は減少に転じ、1969年(昭和44年)頃に収束した。 1970年代に入ると再び噴火活動が活発となり、1972年(昭和47年)9月13日から始まり 10月2日午後10時19分に南岳山頂でやや大きな爆発噴火が発生した。噴出した高温の噴石によって多数の山火事が発生した。この噴火が契機となり1973年に活動火山対策特別措置法が制定され、避難施設の整備、農林漁業被害への補助、降灰除去事業、土石流対策の砂防工事、火山観測や研究などの対策が強化されることになった。1973年(昭和48年)以降、年間数十回から数百回程度の爆発を繰り返し日常的に降灰が続いた。昼間でも薄暗くなることもあった。1974年(昭和49年)5月、1976年11月、1979年11月の噴火では火砕流が発生している。1974年6月17日には第1古里川の砂防工事現場において降雨によって流れ出た火山灰によって土石流が発生して作業員2名が死亡し、1名が行方不明となった。同年8月9日にも野尻川の砂防工事現場において土石流が発生し作業員とその家族を含め5名が死亡した。 1985年(昭和60年)年間474回の爆発を観測。爆発に伴う空振は福岡県飯塚市でも観測された。火山灰の年間降灰量は鹿児島地方気象台で1平方mあたり約16kgに達した。桜島島内では空振による住宅の窓ガラス破損や噴石による自動車の窓ガラス破損が多発し、鹿児島湾を挟んだ対岸の鹿児島市市街地においても降灰によって様々な被害が発生した。送電線を支えるがいしの絶縁不良による停電、道路においては降り積もった火山灰によるスリップ事故、鉄道においては架線の障害や線路のポイント故障による列車の遅れや運休、踏切の誤動作による交通事故、航空機においては操縦室の窓ガラスに傷が付く被害も報告された。同年の火山灰による農作物の被害は約72億円に達した。翌1986年(昭和61年)11月23日には桜島古里地区の「ふるさと観光ホテル」に直径約2 m、重量約5トンの噴石が落下して建物の屋根と床を突き破り、宿泊客と従業員の合わせて6名が負傷するという最大級の火山災害も発生した。1990年代に入ると爆発回数は減少傾向を示し、2003年(平成15年)から2006年(平成18年)にかけての爆発回数は年間十数回程度にまで減少した。
※この「1955年 - 2006年-南岳山頂火口活動期」の解説は、「桜島」の解説の一部です。
「1955年 - 2006年-南岳山頂火口活動期」を含む「桜島」の記事については、「桜島」の概要を参照ください。
- 1955年 - 2006年-南岳山頂火口活動期のページへのリンク