1930年代:新たな真剣さとは? わかりやすく解説

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1930年代:新たな真剣さ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 10:20 UTC 版)

フランシス・プーランク」の記事における「1930年代:新たな真剣さ」の解説

1930年代はじめにそれまで2年歌曲書いていなかったプーランクは再び歌を書くようになったフランソワ・ド・マレルブ英語版)の詩に基づいて書かれた『墓碑銘』はリノシエの想い出作曲されており、ピアニストグレアム・ジョンソンはこの作品を「あらゆる意味において深遠な歌曲」であると評している。翌年にはアポリネールマックス・ジャコブらの詩によって3つの歌曲集を書いており、中には真剣味のある音色の曲もあるかと思えば、かつての名残のように気楽さ見せ楽曲もある。これは1930年代初頭他の作品にも通ずるところである。1932年には他の作曲家とともに作品初めテレビ放映されることになり、BBC放送レジナルド・ケルギルバート・ヴィンターが『クラリネットファゴットのためのソナタ』を演奏したこの頃からお抱え運転手のレイモン・デトゥーシュの関係が始まっている。以前のシャンレールの場合同様に情熱的であった恋愛関係深く永続的な友人関係へと変化していった。デトゥーシュは1950年代結婚しているが、プーランクとは生涯にわたり親し間柄であった1936年起こった出来事により宗教的信仰心が再び呼び覚まされプーランク音楽は、新たな厳粛さ深みへと進んでいく。1936年8月17日同僚ライバルでもあった作曲家ピエール=オクターヴ・フェルー自動車事故死去との報が入る。首が切断されたという痛ましい死の報せ衝撃を受け、彼はしばらく無頓着になっていた信仰心取り戻したプーランクはその直後休暇中にロカマドゥール聖所訪ねた。彼は後にこう説明している。 数日前仕事仲間悲劇的な死の報を受けたばかりだった(中略私たち人間形作るものの脆さ思いを巡らすほどに、今一度私は精神的な人生へと引き込まれていったのだ。ロカマドゥールには幼少期信仰を私に取り戻させる効果があった。この聖所フランス最古であることは疑いなく中略)私を魅了する全て兼ね備えていた。(中略)このロカマドゥール訪問当夜私は女声とオルガンのための『黒い聖母像への連禱』に取り掛かった。当作品においては、その気高教会で私に強い感銘与えた農夫献身」の空気伝えんとしてある。 ロカマドゥール礼拝堂黒衣聖母から受けた心への一撃によって作曲された『黒い聖母像への連禱』は以後晩年までプーランク書き続けた一連の曲の宗教的合唱先駆け的な存在となった。続く作品群新たに見出され厳粛さ引き継いでおり、エリュアール超現実的人文主義的な詩に作曲した多く歌曲などがそれにあたる。1937年には初となる大規模な礼拝用作品である無伴奏ソプラノ混声合唱のための『ミサ曲 ト長調』を作曲した。この作品彼の全宗作品の中で最も頻繁に演奏されている。新作全てこうした深刻な方向性であったわけではない。イヴォンヌ・プランタン(英語版)を主役据えた劇付随音楽マルゴ王妃』では16世紀舞踏音楽模倣行っており、『フランス組曲』の名前で人気博した依然として音楽評論家概して軽妙な作品によってプーランク特徴づけており、1950年代に入るまで彼の厳粛な側面広く認知されるに至らなかった。 プーランク1936年頻繁にベルナックとのリサイタルを開くようになった2人パリエコール・ノルマルで『ポール・エリュアール5つの詩』を初演した。以降ベルナックが表舞台を退く1959年までの20年以上にわたり、彼らはパリ及び国外でともに演奏活動継続することになる。プーランクはこの同志のために90上の歌曲書いており、彼との出会い自身専門家としてキャリア通じた3つの大きな出会い」のひとつに数えている。他の2人エリュアールランドフスカである。ジョンソン言葉借りると「25歳のベルナックはプーランク相談役であり良心であったがゆえ」、プーランク彼に歌曲のみならずオペラ合唱音楽作曲においても助言求めて彼に頼ったであった1930年代通じてプーランクイギリス聴衆から人気得ていた。ロンドンBBCとは実り多き関係を築き上げ彼の作品多く放送された。1938年にはベルナックを伴って初のイギリスツアー行っている。アメリカ合衆国でも同様に人気博しており、多くの人がその音楽を「フランス機知優雅さ高潔な精神神髄」であると考えていた。1930年代終盤にも、プーランク作品深刻さ軽快さの間を揺れ動いていた。『悔悟節のための4つモテット』(1938年-1939年)と歌曲矢車菊』(1939年)は死への悲痛な瞑想であるが、歌曲集偽りの婚約』は『牝鹿』の精神取り戻したような作品だ、というのがエル見解である。

※この「1930年代:新たな真剣さ」の解説は、「フランシス・プーランク」の解説の一部です。
「1930年代:新たな真剣さ」を含む「フランシス・プーランク」の記事については、「フランシス・プーランク」の概要を参照ください。

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