1920年代:高まる名声とは? わかりやすく解説

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1920年代:高まる名声

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 10:20 UTC 版)

フランシス・プーランク」の記事における「1920年代:高まる名声」の解説

1920年代初頭から、プーランク国外、特にイギリスにおいて演奏家及び作曲家として高く評価されるようになったアーネスト・ニューマン1921年に『マンチェスター・ガーディアン』紙に次のように書いている。「私はまだ20代になったばかりの若者フランシス・プーランク注目している。彼は第1級道化人へと成長するはずである。」プーランク連作歌曲リボン結び目』はコルネットトロンボーンヴァイオリン打楽器という普通でない組み合わせ楽器群が伴奏となっており、そこでニューマンそれまでほとんど聞いたことのないような楽しいおふざけを聞いたのだと語っている。1922年ミヨーと共にウィーン赴いたプーランクは、アルバン・ベルクアントン・ヴェーベルンアルノルト・シェーンベルク出会っている。フランスから来た2人はいずれも、これらオーストリア同業者による革命的な十二音技法からは影響を受けなかったが、それを牽引する提案者としてこの3人を賞賛した。翌年プーランクセルゲイ・ディアギレフから完全長バレエ音楽委嘱受けたプーランク題材フランス古典である『雅なる宴(英語版)』を現代移し替えたものにしようと心を決めた。この作品牝鹿』は最初1924年1月モンテカルロで、その後5月パリアンドレ・メサジェ指揮により上演され、たちまち成功収めた同作品はプーランク有数知名度を誇る作品であり続けている。バレエ成功続いてプーランク有名にしたのは、思いがけずサティ疎遠になった理由であったプーランク新たに交友持った人物の中に作家のルイ・ラロワがいたが、サティは彼を執念深く敵視していたのである。やはりディアギレフ組んだバレエうるさがた』で同じよう成功を手にしたばかりであったオーリックも、ラロワと交際したためサティから拒絶されしまっていた。 10年の時が経ちプーランク歌曲から室内楽曲新たなバレエ、そして協奏曲オーバード』と多種多様な作品生み出していた。エルケクラン影響によりプーランクの自然で簡素な様式が時おり抑制されており、またプーランク本当色彩により自分表現するにあたってオーリック有用な助言提供した唱えている。これら2人友人音楽1926年開かれたコンサートにおいて、プーランク歌曲初めバリトンピエール・ベルナックが歌うことになったエルの言によれば、「プーランク間もなくその名前とは分かち難くなった」のであったプーランク近しい関係となったもうひとり演奏家クラヴサン奏者ワンダ・ランドフスカである。彼はファリャの『ペドロ親方の人形芝居』(1923年)でランドフスカ独奏をするのを聞いていた。同作品はこの当時作品クラヴサン用いた先駆け的楽曲であり、彼はたちまちその音色魅了された。ランドフスカ依頼によりプーランクは『田園のコンセール』を作曲1929年ランドフスカ独奏ピエール・モントゥー指揮パリ交響楽団によって初演された。 伝記作家リチャードD・Eバートン述べたところでは、プーランク1920年代終盤には羨まれるような立場居たように思われるという。プロとして成功収め独立して裕福で、父からは相当な額の遺産受け継いでいたのであるパリから南西230キロメートル位置するアンドル=エ=ロワール県、ノワゼ(英語版)に、ル・グラン・コトー(フランス語版)と呼ばれる大きな邸宅購入したプーランクは、安らかな環境作曲するためにこの地へ逃れてきていた。しかし、彼は主として同性愛であった自らの性的嗜好折り合いをつけることにもがき、悩まされていた。初めてとなる真剣な恋愛関係持ったのは画家のリシャール・シャンレール(英語版であった。彼はシャンレールに『田園のコンセール』の写譜送り、そこへ次のように記した。「貴方によって私の人生変わりました、貴方は幾年もの私の渇き陽光であり、生きて働く理由なのです。」にもかかわらずプーランクはこの恋愛継続中友人レイモンド・リノシエ求婚していた。彼女はプーランク同性愛傾向をよく知っていただけでなく、他に心惹かれる人物がいたためプロポーズ断ったのだが、これによって両者の関係ぎこちないものとなってしまった。プーランクには幾度も抑鬱期が訪れることになるが、その最初のものが降りかかって作曲する能力にも影響出ていた。さらに1930年1月にリノシエが32歳で急逝、彼は打ちのめされた。リノシエの死にあたってこう記している。「私の青年時代全てが彼女と別れようとしている、人生あの頃何もかもが彼女だけのものだった。すすり泣いている(略)今、20歳の私がいる。」シャンレールとの恋愛関係1931年には先細りとなっていくが、2人生涯友人であり続けた

※この「1920年代:高まる名声」の解説は、「フランシス・プーランク」の解説の一部です。
「1920年代:高まる名声」を含む「フランシス・プーランク」の記事については、「フランシス・プーランク」の概要を参照ください。

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