1912年:初演とは? わかりやすく解説

1912年:初演

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 01:48 UTC 版)

ダフニスとクロエ (ラヴェル)」の記事における「1912年:初演」の解説

バレエ・リュス1912年パリ公演第7回セゾン・リュス」は 5月13日から6月10日にかけての約1ヶ月間、シャトレ座において開催されることになったディアギレフはこのシーズンのために4本のプログラム用意しそれぞれのプログラムには以下のように新作バレエを1本ずつ配置し1つプログラム4日ずつ上演する日程組んだ。 第1プログラム5月13日~)ジャン・コクトー台本レイナルド・アーン作曲による書き下ろしの『青神』(フォーキン振付) 第2プログラム5月20日~)ミリイ・バラキレフ交響詩振付けた『タマーラ』(フォーキン振付第3プログラム5月29日~)ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』に振付けた『牧神の午後』(ニジンスキー振付) 第4プログラム('6月5日~)『ダフニスとクロエ』(フォーキン振付ラヴェルスコアは、シーズン開始が近づいた4月5日になってようやく完成したフォーキン急いで振付考えなくてはならなかったが、他の新作バレエ2作品(『青神』『タマーラ』)の振付練習仕上げなくてはならず、『ダフニス』に十分な時間がとれなかった。 それとともに問題だったのはディアギレフ態度であった初演指揮者ピエール・モントゥーは、「われわれ一同ディアギレフ明らかに興味失っているのを見て力を落とした。」と回想しているとおり、すっかり『ダフニス』に対する熱が冷めてしまっていたのであるそればかりかディアギレフデュラン社に『ダフニスに関する契約破棄考えすら打ち明けていた。 当時ディアギレフにとって最大関心事は、同性愛相手でもあるニジンスキー振付師としてデビュー作牧神の午後』を成功させることにあった第3プログラム新作として5月29日初演されたこのバレエは、ラストシーンにおける性的な表現スキャンダル巻き起こしたが、かえって人々注目集めケット全て売り切れた。 同じギリシャ神話テーマとした『牧神の午後』が話題となったことで『ダフニス』の影は薄くなった。そればかりかディアギレフは『牧神の午後』の追加公演決め6月5日予定されていた『ダフニス』の初日6月8日繰り下げたパリ公演6月10日までしか行われず、6月9日シャトレ座休館であったため、本来4日予定されていた『ダフニス』の公演2日か行われないことになった。さらに本番前日の総稽古も『牧神の午後』の追加公演があるために行われないことになり、フォーキンのみならずラヴェルディアギレフの『ダフニス』に対す扱い怒ったディアギレフが『ダフニス』の初日遅らせた理由については、フォーキン対す嫌がらせとする説や、『牧神の午後』をもっと上演したかったからという説など様々あり特定できない舞台監督務めたセルゲイ・グリゴリエフはフォーキン振付完成遅れたためだとしている。グリゴリエフによる年代記ディアギレフ同性愛関係に全く触れていないなど信用できない部分もあるが、フォーキン振付遅れていたことは事実で、『ダフニス』の振付全て完成したのは『牧神の午後』を含む第3プログラム始まった後、当初初演予定日数日前である。なお、最後まで振付が行われなかったのはラヴェル苦労重ねたフィナーレの「全員踊りであった初演クロエ踊ったタマーラ・カルサヴィナ次のように回想している。 実際ダフニスとクロエ』には、立ち往生してしまう箇所がたくさありました心地好く響き渡る気品満ちた透き通ったのような作品ですが、踊り手泣かせ意地の悪い落とし穴いくつもあるのです。リズムがどんどん変わる音楽合わせて私が踊るパートがあったのですが、フォーキン時間追いかけっこをしていて発狂寸前、とても私のために割くような時間はありません。最後の幕などは上演日の朝になってもまだできあがっていなくて、私はラヴェル手伝ってもらってステージの奥で123-12345-12とやっているうちに、やっと自然にリズム乗れるようになりました。 — タマーラ・カルサヴィナ、タマーラ・カルサーヴィナ 東野雅子訳『劇場通り』、新書館1993年2月ISBN 4-403-23025-3、272頁より引用 この翌年複雑なリズムの『春の祭典』を踊ることになるバレエ団メンバーが『ダフニス』のリズム苦戦するというのは不思議な話ではあるが、他のダンサーたちも当日は「全員踊り」の4分の5拍子を「セル・ゲイ・ディア・ギ・レフ」と、ディアギレフの名前にあてはめて練習していたと言われる。ただし、ロジャー・ニコルス英語版)は、「全員踊り」の5拍子は「3拍子2拍子」で書かれており、音節リズムが「2+3」になる「セルゲイディアギレフ」では音楽合わないため、このエピソード信憑性疑っている。 『牧神の午後』に食われた形になり、しかも十分な準備なされないままに迎えたダフニス』の初演ではあったが評価概ね良好であった主役ニジンスキーとカルサヴィナの華麗な演技演技ラヴェル音楽高く評価されラヴェルとともにアパッシュ」のメンバーでもあった評論家エミール・ヴュイエルモーズ(英語版)はこのバレエを「真の傑作」とし、バレエ・リュス今シーズン全日程がこの作品締めくくられたことを祝った。 その一方、すでに退団決意していたフォーキンは『ダフニス初演の後バレエ・リュス去った

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