1912年:初演
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「ダフニスとクロエ (ラヴェル)」の記事における「1912年:初演」の解説
バレエ・リュスの1912年のパリ公演「第7回セゾン・リュス」は 5月13日から6月10日にかけての約1ヶ月間、シャトレ座において開催されることになった。ディアギレフはこのシーズンのために4本のプログラムを用意し、それぞれのプログラムには以下のように新作バレエを1本ずつ配置し、1つのプログラムを4日ずつ上演する日程を組んだ。 第1プログラム(5月13日~)ジャン・コクトー台本、レイナルド・アーン作曲による書き下ろしの『青神』(フォーキン振付) 第2プログラム(5月20日~)ミリイ・バラキレフの交響詩に振付けた『タマーラ』(フォーキン振付) 第3プログラム(5月29日~)ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』に振付けた『牧神の午後』(ニジンスキー振付) 第4プログラム('6月5日~)『ダフニスとクロエ』(フォーキン振付) ラヴェルのスコアは、シーズン開始が近づいた4月5日になってようやく完成した。フォーキンは急いで振付を考えなくてはならなかったが、他の新作バレエ2作品(『青神』『タマーラ』)の振付と練習も仕上げなくてはならず、『ダフニス』に十分な時間がとれなかった。 それとともに問題だったのはディアギレフの態度であった。初演の指揮者ピエール・モントゥーは、「われわれ一同はディアギレフが明らかに興味を失っているのを見て力を落とした。」と回想しているとおり、すっかり『ダフニス』に対する熱が冷めてしまっていたのである。そればかりか、ディアギレフはデュラン社に『ダフニス』に関する契約破棄の考えすら打ち明けていた。 当時のディアギレフにとって最大の関心事は、同性愛の相手でもあるニジンスキーの振付師としてのデビュー作『牧神の午後』を成功させることにあった。第3プログラムの新作として5月29日に初演されたこのバレエは、ラストシーンにおける性的な表現がスキャンダルを巻き起こしたが、かえって人々の注目を集めケットは全て売り切れた。 同じギリシャ神話をテーマとした『牧神の午後』が話題となったことで『ダフニス』の影は薄くなった。そればかりか、ディアギレフは『牧神の午後』の追加公演を決め、6月5日に予定されていた『ダフニス』の初日を6月8日に繰り下げた。パリ公演は6月10日までしか行われず、6月9日はシャトレ座の休館日であったため、本来4日予定されていた『ダフニス』の公演は2日しか行われないことになった。さらに本番前日の総稽古も『牧神の午後』の追加公演があるために行われないことになり、フォーキンのみならずラヴェルもディアギレフの『ダフニス』に対する扱いに怒った。 ディアギレフが『ダフニス』の初日を遅らせた理由については、フォーキンに対する嫌がらせとする説や、『牧神の午後』をもっと上演したかったからという説など様々あり特定はできない。舞台監督を務めたセルゲイ・グリゴリエフはフォーキンの振付の完成が遅れたためだとしている。グリゴリエフによる年代記はディアギレフの同性愛関係に全く触れていないなど信用できない部分もあるが、フォーキンの振付が遅れていたことは事実で、『ダフニス』の振付が全て完成したのは『牧神の午後』を含む第3プログラムが始まった後、当初の初演予定日の数日前である。なお、最後まで振付が行われなかったのはラヴェルが苦労を重ねたフィナーレの「全員の踊り」であった。 初演でクロエを踊ったタマーラ・カルサヴィナは次のように回想している。 実際『ダフニスとクロエ』には、立ち往生してしまう箇所がたくさんありました。心地好く響き渡る、気品に満ちた、透き通った泉のような作品ですが、踊り手泣かせで意地の悪い落とし穴がいくつもあるのです。リズムがどんどん変わる音楽に合わせて私が踊るパートがあったのですが、フォーキンは時間と追いかけっこをしていて発狂寸前、とても私のために割くような時間はありません。最後の幕などは上演日の朝になってもまだできあがっていなくて、私はラヴェルに手伝ってもらってステージの奥で123-12345-12とやっているうちに、やっと自然にリズムに乗れるようになりました。 — タマーラ・カルサヴィナ、タマーラ・カルサーヴィナ 東野雅子訳『劇場通り』、新書館、1993年2月、ISBN 4-403-23025-3、272頁より引用 この翌年に複雑なリズムの『春の祭典』を踊ることになるバレエ団のメンバーが『ダフニス』のリズムに苦戦するというのは不思議な話ではあるが、他のダンサーたちも当日は「全員の踊り」の4分の5拍子を「セル・ゲイ・ディア・ギ・レフ」と、ディアギレフの名前にあてはめて練習していたと言われる。ただし、ロジャー・ニコルス(英語版)は、「全員の踊り」の5拍子は「3拍子+2拍子」で書かれており、音節のリズムが「2+3」になる「セルゲイ+ディアギレフ」では音楽に合わないため、このエピソードの信憑性を疑っている。 『牧神の午後』に食われた形になり、しかも十分な準備がなされないままに迎えた『ダフニス』の初演ではあったが評価は概ね良好であった。主役のニジンスキーとカルサヴィナの華麗な演技な演技やラヴェルの音楽は高く評価され、ラヴェルとともに「アパッシュ」のメンバーでもあった評論家エミール・ヴュイエルモーズ(英語版)はこのバレエを「真の傑作」とし、バレエ・リュスの今シーズンの全日程がこの作品で締めくくられたことを祝った。 その一方、すでに退団を決意していたフォーキンは『ダフニス』初演の後、バレエ・リュスを去った。
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