フォーキンとは? わかりやすく解説

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フォーキン【Michel Fokine】

読み方:ふぉーきん

[1880〜1942ロシア生まれ舞踊家振付師数々の名振り付けモダンバレエ方向確立したパブロワのために振り付けた「瀕死の白鳥」は有名。のち、米国帰化


フォーキン

名前 Fokine; Fokin

ミハイル・フォーキン

(フォーキン から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/20 09:34 UTC 版)

ミハイル・フォーキン

ミハイル・ミハイロヴィチ・フォーキン: Михаи́л Миха́йлович Фоки́н, Mikhail Mikhailovich Fokin, 1880年4月23日 - 1942年8月22日)は、ロシア出身のバレエダンサー振付師、バレエ教師。フランス語読みでミシェル・フォーキン(Michel Fokine)と呼ぶ場合もある。

略歴

1880年、サンクトペテルブルクで生まれた。1898年、サンクトペテルブルクの帝室舞踏学校卒業と同時にマリインスキー劇場と契約。1905年以降、振付師・教師として活躍。1907年アンナ・パヴロワのために振り付けた「瀕死の白鳥」は特に有名である。

1909年セルゲイ・ディアギレフバレエ・リュスの結成に参加、以降『レ・シルフィード』、『ダッタン人の踊り』(1909年)、『シェヘラザード』、 『火の鳥』(1910年)、『バラの精』、『ペトルーシュカ』(1911年)といったバレエ・リュス初期の傑作を振り付けて大成功をおさめた。しかし、1912年、『ダフニスとクロエ』初演時に、上演時間と順番を巡ってディアギレフと決裂。また、『ダフニスとクロエ』自体も、同年に発表されたヴァーツラフ・ニジンスキー振付による『牧神の午後』のスキャンダルに隠れ、話題にすらならなかった。このような状況の中、フォーキンは1912年にバレエ・リュスを脱退した。ディアギレフがニジンスキーを解雇したために生じた穴を埋めるため、1913年から1914年にかけて[1]、一時的にバレエ・リュスに復帰、『蝶々』、『金鶏』などを振付けるが、大ヒットとはならなかった。

その後、ロシア、北欧でバレエ教師、ダンサーとして活動した後、1920年米国に渡り、以降ニューヨークに定住。1922年、「フォーキン・バレエ」を結成。1932年、米国に帰化、教師として後進の教育に関わりながら振付もした。 生涯で70を超える作品の振り付けを行った。今なお世界のトップクラスのバレエ団で用いられているものも多い。

脚注

  1. ^ 芳賀(2009)、pp. 100-101

参考文献

  • 芳賀直子『バレエ・リュス その魅力のすべて』(国書刊行会、2009年)
  • Beaumont, C. W., Michel Fokine and His Ballets, ISBN 1-85273-050-1
  • Anderson, Jack. “DANCE VIEW; Fokine -- The Undervalued Revolutionary”. The New York Times: p. 8. (1980年9月7日) 
  • "Michel Fokine|Russian Dancer and Choreographer." Encyclopædia Britannica Online. Encyclopædia Britannica. Web. February 21, 2016.

関連項目


フォーキン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 01:48 UTC 版)

ダフニスとクロエ (ラヴェル)」の記事における「フォーキン」の解説

第一次世界大戦後アメリカに移住したフォーキンにパリ・オペラ座バレエからオファーかかった熱狂的なディアギレフファンでもあった当時オペラ座総裁ジャック・ルーシェフランス語版)は、オペラ座バレエ再興のために過去バレエ・リュス関係したアーティストたちを招いており、フォーキンの振付バクスト美術衣装により『ダフニスとクロエ』を再演しようとしたのである。 『ダフニス再演を含む「ロシア夕べ」は1921年6月20日開催され、フォーキンは振付担当するとともに、妻ヴェラ・フォーキナ(フランス語版とともにタイトルロール踊った。こうして、フォーキンにより『ダフニス』はパリ・オペラ座バレエレパートリー位置づけられ、後にアルベール・アヴリーヌ(フランス語版)がダフニスカルロッタ・ザンベリクロエ踊った

※この「フォーキン」の解説は、「ダフニスとクロエ (ラヴェル)」の解説の一部です。
「フォーキン」を含む「ダフニスとクロエ (ラヴェル)」の記事については、「ダフニスとクロエ (ラヴェル)」の概要を参照ください。

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