1908年以前
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「ダフニスとクロエ (ラヴェル)」の記事における「1908年以前」の解説
1904年12月、モダンバレエの祖とも言われるイサドラ・ダンカンがロシア帝国の首都ペテルブルクで公演を行った。 当時ロシア帝室バレエにダンサーとして所属していたミハイル・フォーキンは、古代ギリシャ風の衣裳とチュニックで踊るダンカンの姿に刺激を受け、ペテルブルク公共図書館の館長ウラディーミル・スターソフの協力を得て古代ギリシャに関する資料(ジョルジュ・ペロー(英語版)・シャルル・シピエ(英語版)による『古代芸術の歴史(Histoire de l’art dans l’Antiquité )』など)を調べ、1905年に帝室バレエの振付師になってからは『アクシスとガラテア(ロシア語版)』(1905年)、『ユーニス』(1907年)などの、ギリシャを素材としたバレエを振付けた。 フォーキンが『ダフニス』の台本を書いたのは、本人の証言によれば1904年で、ダンカンの舞台を見る前のこととされており、バレエ・リュスやラヴェルに関連する文献の多くはこの証言に従っている。一方でロシアのバレエ研究家ヴェラ・クラソフスカヤ(ロシア語版)(Vera Krasovskaya )はこれに異論を唱えており、フォーキンは『ダフニス』に対するダンカンの影響を否定するために日付を変更しているのであって実際に台本が書かれたのは1907年のことである、としているが、いずれにせよバレエ・リュスが活動を始める前に初期の台本は出来上がっていた。 フォーキンはバレエ改革に関する4か条の意見書 とともに完成した『ダフニス』の台本を帝室バレエに提出したが、どちらも採用されなかった。また、フォーキンは『アクシスとガラテア』の音楽を担当した作曲家アンドレイ・カデレズ(ロシア語版)(Andrey Kadletz )に『ダフニス』の作曲を持ちかけたと見られるが、カデレズによる『ダフニスとクロエ』は未完に終わっている。 フォーキンの『ダフニス』がロシア帝室バレエで上演される見込みはほぼ無くなったが、おそらく1907年から1908年頃、パリを舞台に活動していた興行師セルゲイ・ディアギレフがこの台本に目を付けた。
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