1913年の洪水
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/17 09:09 UTC 版)
「ハミルトン (オハイオ州)」の記事における「1913年の洪水」の解説
有史以前に谷一帯で洪水が起こったことを、地理学や地質学上の証拠が示している。ヨーロッパ系アメリカ人が入植してからは、日記、逸話、民話、手紙、公式の記録などは比較的激しい洪水が1814年、1828年、1832年、1847年、1866年、1883年、1897年、1898年、1907年にあったことを示す証拠資料であった。 1913年、最大級の洪水が発生した。以前からの雨で土壌に水がしみ込んでいただけでなく、地面も凍り付いており、激しい雨は流域全体に流れ込んだ。この結果、降った雨のほとんど、90%が河川に直接流れ出したと推定される。5月25日~29日の5日間で合計9インチ~11インチ(約230mm~280mm)の降水量があった。ナイアガラの滝から流れ落ちる水の30日分と同じくらいの水量が、その後の洪水でマイアミ・バレーから流出した。グレートマイアミ川バレー全体では360人が死亡し、そのうちハミルトンでは200人が死亡した。溺死した人、流されて行方不明になった人、病気や合併症で亡くなった人もいれば、あまりの被害に自殺をした人もいた。谷では当時の金額で約1億ドル、現在の金額にして20億ドルの損害を受けたと推計される。洪水はハミルトン市内に架かっていた4つの橋(ブラック・ストリート橋、ハイ・メイン・ストリート橋、コロンビア橋、鉄道橋)を2時間かからずに破壊するほどの強さであった。 ハミルトンでは予期せず水かさが上がり、突然恐怖に襲われた。ダウンタウンでは3フィート~8フィート(約90cm~240cm)ほどの深さまで浸水した。ノースエンドの5番ストリートに沿ってサウスハミルトン・クロッシングにかけての地域に至っては、18フィート(約5.5m)に達した。洪水はDストリートから西へと広がった。これは現在のエリー・ハイウェイの東側にあたる。水位の上昇があまりに速かったために、多くの人が職場や自宅に閉じこめられた。屋根裏に逃げ込まなければならなくなったが、水位がさらに増して屋根を突き破ったというケースもあった。気温は氷点下付近で推移していた。水の流れは様々に変化したが、谷の幅が狭くなっているような場所では時速20マイル以上の急流となっていた。死体、1,000頭以上の溺死した馬、家畜、ペット、汚水などが水を汚染した。当時の人口約35,000人のうち、約10,000人が家を失った。数千もの家屋が洪水で破壊され、その後、そのうちの多くは損傷が激しいために修復できずに市の労働者によって取り壊された。
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