デイトン・エンジニアリング・ラボラトリー・カンパニー
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「エドワード・A・ディーズ」の記事における「デイトン・エンジニアリング・ラボラトリー・カンパニー」の解説
ケタリングとディーズは公私ともに生涯にわたる友人だった。ケタリングが自動車用の電動スターターを開発する際にはディーズは自分の家の納屋を実験スペースとして提供している。キャディラックのヘンリー・リーランドが点火装置を5000個、発注した時に、ディーズとケタリングはデイトン・エンジニアリング・ラボラトリー・カンパニー(デルコ)を創設。後にユナイテッド・モーターズ・カンパニーに売却され、さらにゼネラルモーターズ(GM)に吸収された。ディーズはユナイテッド・モーターズ・カンパニーの取締役となった。 デルコはブランド名でもあり、デルコ・ライト、デルコ製品、デルコMoraineなどで使われていた。GMの他の事業部でもデルコ=レミーなどでもつかわれていた。デルコの研究所はGMの研究施設、ゼネラル・モーターズ・リサーチ・コーポレーションの基礎となった。 ディーズはデイトンの再建や、1913年の洪水後のマイアミ・コンサーバンシー・ディストリクト(英語版)の創設にも貢献した。ディーズとケタリングは1914年にはデイトン技術者クラブ(Engineers Club of Dayton )を創設した。 オービル・ライト、H・E・タルボット、ケタリングとともにデイトン=ライト・エアプレーン・カンパニーを創設した。ディーズはワシントンDCで航空機生産を率いた。オハイオ州モレーンのデルコの工場は拡張されデ・ハビランドDH4爆撃機を生産した。DH4は第一次世界大戦中に活躍した唯一の米国製飛行機であり、モレーンの工場で3000台以上も生産された。この会社ではほかにリバティ・エンジンが生産された。1917年、ディーズは米国陸軍にカーネルの位で参加し、マクック・フィールド軍用機実験場(現ライト・パターソン空軍基地)で軍用機供給の責務を担った。 デイトン天文ソサエティ(Dayton Astronomical Society 、DAS)の創立メンバーでもある。DASはデイトンでのアマチュア天文家の最初の公式な組織で、1918年に創立した。DASは現在Miami Valley Astronomical Society(MVAS)となっている。 戦後、カーネル・ディードはデルコに戻った。デルコは1920年にGMに売却された。1922年、100もあったキューバ産製糖会社をまとめゼネラル・シュガー・カンパニーを設立、ディーズは1946年のリタイアまで会長であった。
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