デイトンでのデルコ創業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 14:48 UTC 版)
「チャールズ・ケタリング」の記事における「デイトンでのデルコ創業」の解説
目が悪かったが、オハイオ州立大学で電気工学を専攻。1904年に卒業し、新しいアイデアというものはチームであればこそ進化させることができるとの考えを持ち、興味関心事にこれを広く適用した。 20世紀初頭、オハイオ州西部の都市デイトンは米国の工業都市のなかでもリーダーとなっていた。自動車関連の研究のため、エドワード・A・ディーズとともに、1909年、デイトン・エンジニアリング・ラボラトリーズ・カンパニー(デルコ)を創設している。ケタリングとディーズとは事業においても、専門家としても、また、個人としても生涯の友だった。 デイトンには高い能力をもったエンジニア、科学者が集って働いていた。1914年、エンジニアズ・クラブ・オブ・デイトンを結成した。また、ケタリングは第一次世界大戦中には、まだ自動車だけの技術者団体であったSAEで会長職にも就いている。 デルコは、1920年にゼネラルモーターズ (GM) に売却され、ゼネラルモーターズ・リサーチ・コーポレーション(General Motors Research Corporation )、およびデルコ・エレクトロニクスに発展する。売却したケタリングはゼネラルモーターズ・リサーチ・コーポレーションの副社長となり、その後27年間、GMの研究所を率いた。
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