1913年のバディッシャー駅とは? わかりやすく解説

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1913年のバディッシャー駅(2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/01/18 14:19 UTC 版)

バーゼル・バディッシャー駅」の記事における「1913年のバディッシャー駅(2代)」の解説

1906年、町の端に移転して高架化された新しい駅の建設工事始まった。これによりクラインバーゼル(Kleinbasel)地区から全ての踏切除却され、線路横断するトンネル通り道地平建設できるようになったしかしながら新しい駅のファサード設計めぐって意見分かれ様々な議論のために駅舎建設遅延した最終的にパウルス教会(Pauluskirche)やアントニウス教会(Antoniuskirche)も設計したバーゼルのカール・モーゼル(Karl Moser)が駅舎の建築設計し1908年バーデン鉄道提案した計画連邦政府鉄道部門承認された。1910年春、駅舎建設工事始まり1911年黄色砂岩建設されファサードが姿を現した。さらに塔と鉄筋コンクリート製の丸天井備えたメインホール続けて建設された。 1911年夏、新しいバディッシャー駅の骨格シュヴァルツヴァルト通りできあがり中央の建物印象的なドームホールも木材内張りされるところまでできあがっていた。しかしながら8月12日夜、工事用の足場から原因不明火災発生し、この輝かし建物焼失してしまった。この火災原因で、新しい駅の営業開始数ヶ月遅延することになったMAN社の提供で、1912年20メートルから24メートルの幅の屋根備えたホール建設されプラットホーム上には国境通過する列車のための税関出入国管理施設設けられた。 1913年9月11日バディッシャー駅の建物完成し9月13日営業開始した全ての建設費用当時価格で6500スイスフランにのぼり、バーデン鉄道中でもっとも高価なとなった。 駅は、今日まで建設当時の様子おおむね留めている。ただし、印象的だったプラットホームホールは、1981年から1982年にかけて予定されていたリニューアル工事のために取り壊されプラットホーム屋根置き換えられている。

※この「1913年のバディッシャー駅(2代)」の解説は、「バーゼル・バディッシャー駅」の解説の一部です。
「1913年のバディッシャー駅(2代)」を含む「バーゼル・バディッシャー駅」の記事については、「バーゼル・バディッシャー駅」の概要を参照ください。

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