1913年のバディッシャー駅(2代)
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「バーゼル・バディッシャー駅」の記事における「1913年のバディッシャー駅(2代)」の解説
1906年、町の端に移転して高架化された新しい駅の建設工事が始まった。これによりクラインバーゼル(Kleinbasel)地区から全ての踏切が除却され、線路を横断するトンネルや通り道が地平で建設できるようになった。 しかしながら、新しい駅のファサードの設計をめぐって意見が分かれ、様々な議論のために駅舎の建設が遅延した。最終的にパウルス教会(Pauluskirche)やアントニウス教会(Antoniuskirche)も設計したバーゼルのカール・モーゼル(Karl Moser)が駅舎の建築を設計し、1908年にバーデン鉄道が提案した計画が連邦政府の鉄道部門に承認された。1910年春、駅舎の建設工事が始まり、1911年黄色い砂岩で建設されたファサードが姿を現した。さらに塔と鉄筋コンクリート製の丸天井を備えたメインホールが続けて建設された。 1911年夏、新しいバディッシャー駅の骨格がシュヴァルツヴァルト通りにできあがり、中央の建物の印象的なドームホールも木材で内張りされるところまでできあがっていた。しかしながら、8月12日夜、工事用の足場から原因不明の火災が発生し、この輝かしい建物は焼失してしまった。この火災が原因で、新しい駅の営業開始は数ヶ月遅延することになった。 MAN社の提供で、1912年に20メートルから24メートルの幅の屋根を備えたホールが建設され、プラットホーム上には国境を通過する列車のための税関や出入国管理の施設が設けられた。 1913年9月11日バディッシャー駅の建物が完成し、9月13日に営業を開始した。全ての建設費用は当時の価格で6500万スイスフランにのぼり、バーデン鉄道の中でもっとも高価な駅となった。 駅は、今日まで建設当時の様子をおおむね留めている。ただし、印象的だったプラットホームホールは、1981年から1982年にかけて予定されていたリニューアル工事のために取り壊され、プラットホームの屋根に置き換えられている。
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