1862年から1913年のバディッシャー駅(初代)
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「バーゼル・バディッシャー駅」の記事における「1862年から1913年のバディッシャー駅(初代)」の解説
J. ベルクミュラー(J. Berckmüller)が設計した駅舎は、車寄せを備えて多くの旅客の出入りに耐えうるようになっており、さらに右側には中規模の建物やウィングが繋がっていた。表の通り側には長い車寄せが続いている。1863年にコンスタンツまでの路線が開通すると、待合室や休憩所は早くも増設する必要に迫られ、1873年にバーゼルSBB駅へ繋がる連絡線(Basler Verbindungsbahn)が開通すると、さらなる建物の改築が必要になった。 年月が過ぎるにつれて、バーデン鉄道の線路は町の発展の障害になりつつあり、解決策が模索されていた。バーデン鉄道は、1892年に駅の拡張を計画し、通過式配線の駅を頭端式に改築することも提案された。バーゼル当局は、発展しつつある町を分断する線路を追い出したいと考えていた。1899年からバーデン大公国との間で鉄道施設の移転に関する交渉が始まり、1900年3月、旅客駅をシュヴァルツヴァルト通り(Schwarzwaldalle)に移転した上で関連する鉄道施設を再編することで合意に達した。それからまもなく、新線の建設工事が始まった。まず、ローカル貨物の扱い施設が元の場所のそばに建設され、1905年に鉄道施設の再編工事の第1段階が供用を開始した。 1913年から鉄道施設は新しい場所に移転し、元の駅の位置では秋の市が開催され、第1次世界大戦後は毎年の定期市(バーゼル・ムスターメッセ)が開かれるようになった。旧駅舎はしばらくの間工場と機関庫として用いられ、1923年に解体された。
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