1862年から1867年までの進歩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 02:26 UTC 版)
「シェフィールド・ルール」の記事における「1862年から1867年までの進歩」の解説
1862年の規則には、1858年のものと同様に、オフサイドに関する規定がなかった。1867年2月の「The Field」への書簡において、シェフィールドFCの秘書官ハリー・チェインバーズ(英語版)は、少なくとも1人の対戦相手が相手ゴールから見て同じ位置あるいはゴールのより近くにいることを必要とするルール(1人制オフサイド)を1863年シーズンの開始時にシェフィールドFCが採用した、と書いた。この主張は、秘書官ウィリアム・チェスターマン(英語版)からFAへの1863年の書簡でも支持される。 シェフィールドFCの1865年の年次総会において、「将来に向けて我々は(厳格な)オフサイドルールをプレーするが、もし他のシェフィールドクラブが同じルールを採用しないならば、我々の現行のルールに従って彼らとの試合をプレーする」ことが決議された。別の決議は、「もし彼ら(Notts)がフリーキックの場合にマークを行うことを放棄すること、さらにゴールへのフリーキックも放棄するならば、我々はオフサイドルールを採用することを述べた書簡をNottsの秘書官へ書かなければならない」と言明している。 このオフサイド規則は1865-66シーズンの終わりに中止され、シェフィールドFCはより制限のゆるい1人制オフサイドルールに戻った。1867年1月の新聞記事は、「(より厳格なFA式の)オフサイドルールはシェフィールドでプレーされてきたが、一様に非難された。これはたくさんの不満の原因であること、最も不満足な事態を生み出していること、実力伯仲の勝負の興奮の中で、どの選手がオフサイドでどの選手がオフサイドだったかを区別するのは困難であることが明らかとなった。... したがって、それ(オフサイド)は捨て去られ、現在は、以前のように、フィールド上の全ての選手の位置に関する唯一の制限は、その選手が対戦相手のゴールに最も近い守備側の選手よりもゴールの近くにいてはならない、というものである」と伝えた。 現存するクラブの記録は、ルールは個別の試合で変更されえたことを示している(例えば、1863年5月9日の対Garrison戦では「ボールを打つことと投げることが許され」、1865年10月28日の対Mackenzie戦では「オフサイドルールをプレーし」、1865年11月11日の対Norton戦では「昔のルールによりEast Bankでプレーした」)。 この時期にプレーされた正確な規則の情報源は乏しい。上述したように、その数年の間のオフサイド規則に関する最良の情報源は数年経った後の「The Filed」紙に書かれた書簡である。1866年2月にクラブの秘書官ウィリアム・チェスターマンからフットボール協会に送られた書簡は、フェアキャッチを廃止するFAの提案を強く支持した。これは、すでのクラブ内でシェフィールドコードからフェアキャッチを取り除くある程度の欲求が既に存在したことを示唆している(フェアキャッチは1862年の規則に残っていたが、その後に1867年のシェフィールド協会規則において廃止された)。1865-66シーズンのための新たに設立された(シェフィールド・)メカニクスFC規則集の写しはシェフィールドFCの1862年規則とほとんど同一であるが、2つの変化があり、これらはシェフィールドFCにおける進歩に関係あるかもしれないないかもしれない。 フリーキックは不正なハンドリングに対して与えられる(1858年のシェフィールドFC規則の草稿と未来の1867年のシェフィールド協会規則と同様) ボールが「ゴールサイドに」蹴り出された時は、コーナーフラッグからスローインが行われる(1867年10月に導入された同様のシェフィールド協会ルールの前兆となる)。
※この「1862年から1867年までの進歩」の解説は、「シェフィールド・ルール」の解説の一部です。
「1862年から1867年までの進歩」を含む「シェフィールド・ルール」の記事については、「シェフィールド・ルール」の概要を参照ください。
- 1862年から1867年までの進歩のページへのリンク