1862年:フランス軍の上陸
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「メキシコ出兵」の記事における「1862年:フランス軍の上陸」の解説
1861年、ベニート・フアレス政権が誕生、国内の経済的混乱を鎮めるために債権の利払いの一時停止を発表した。債権国のフランス、スペイン、イギリスは武力制裁をすることで一致、翌年共同出兵を行った。この時期、メキシコに対して米墨戦争を仕掛けるなど内政干渉を続けていたアメリカが南北戦争に突入し、中米地域のパワーバランスが崩れていたことも背景にあった。 イギリス、スペイン、フランスの艦隊は1861年12月8日から17日にかけてベラクルスに続々到着した。これは、メキシコが債務を支払うよう圧力をかけることがその意図だった。スペイン艦隊はサン・フアン・デ・ウルア要塞を占拠し、つづいて12月17日に首都ベラクルスを掌握した 。ヨーロッパ軍はソレダード (Soledad) における会合での合意にしたがってオリサバ、コルドバ、テワカン(英語版)に進軍した 。カンペチェ市は2月27日にフランス艦隊に降伏し、シャルル・ド・ロレンス将軍率いるフランス陸軍が3月5日に入城した。スペインとイギリスは、フランスがメキシコを占領しようという野望を持っていることを知り、4月9日に撤退し、4月29日にはメキシコから離れた。5月にはフランスの軍艦ベヨネーズがマサトランを数日間封鎖した。 フランス軍は1862年5月5日のプエブラの会戦でイグナシオ・サラゴサ将軍率いるメキシコ軍に初めて敗北を喫した(この勝利を記念して5月5日、シンコ・デ・マヨ、は現在もメキシコの祝日である)。メキシコ軍は敗走するフランス軍を追撃したが、6月14日、ベラクルスのオリサバでフランス軍に包囲されてしまった。9月21日には増援のフランス軍が到着し、10月16日にはバゼーヌ将軍が更なる増援とともに到着した。10月23日にはタマウリパス州のタンピコ市がフランス軍によって占領され、12月12日にはベラクルス州のハラパ市が平和裏に占領された。[要出典]
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