1862年 ヨーゼフ・ドルシュによる改良型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 08:34 UTC 版)
「ドライゼ銃」の記事における「1862年 ヨーゼフ・ドルシュによる改良型」の解説
ドライゼ銃の工場で徒弟として働いていたヨーゼフ・ドルシュが独立して、1857年にズールで自らの工房を開き、ドライゼ銃の閉鎖機構を独自に改良した紙製薬莢を使用するボルトアクション式小銃の試作品を製作した。ドルシュはスポンサーとしてプロイセンの軍人貴族だったクラーマー・フォン・バウムガルテンをパートナーとしたため、その試作品は後にDoersch & von Baumgarten銃(バウムガルテン銃)と呼ばれた。 同銃のボルトによる閉鎖の構造はドライゼ銃よりもシャスポー銃に近く、ボルトは銃身(薬室)後端内部に挿入される構造となっていたが、同銃のボルトにはシャスポー銃のようなガス漏れ防止のための仕組みは無く、紙製薬莢の基部(後端)にグリスを塗したフェルトが置かれ、発射時の圧力でボルトに押し付けられたフェルトがガス漏れ防止パッキンの役割を果たすようになっていた。また、ドライゼ銃や他の多くの後装式銃と異なり、同銃のレシーバは銃身の後部を切り開いて製造されていたため、加工が難しくなり歩留まりが悪くなるためドライゼ銃より高価だった。 同銃は1862年にシャウムブルク=リッペ侯国軍によって採用・配備されたが、使用された弾薬は同銃専用のガス漏れ防止のフェルトパッキンの無いドライゼ銃と共用の弾薬だったため、ボルト先端と銃身後端が密着するドライゼ銃よりガス漏れが酷い状態となった。 このためドルシュは薬莢の後端に円盤型の薄いゴムを貼り付けてガス漏れを防ぐ工夫を提案したが、これは高価なゴムを使い捨てにするため現実的な方法ではなく、後発のシャスポー銃がボルトにゴムリングを装着して完全なガス漏れ防止を実現したのと対照的に、それ以上の発達を遂げる事無く消滅し、世界的に現存数は極めて少ないが日本国内には歩兵型(シャウムブルク=リッペでは歩兵型は使用されておらず日本向けに作られた物と思われる)が霊山歴史館と個人蔵の2挺、騎兵型が1挺確認されている。
※この「1862年 ヨーゼフ・ドルシュによる改良型」の解説は、「ドライゼ銃」の解説の一部です。
「1862年 ヨーゼフ・ドルシュによる改良型」を含む「ドライゼ銃」の記事については、「ドライゼ銃」の概要を参照ください。
- 1862年 ヨーゼフ・ドルシュによる改良型のページへのリンク