1862年の火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 09:11 UTC 版)
「ホースヘッド (ニューヨーク州)」の記事における「1862年の火」の解説
1862年8月14日付地元新聞『エルマイラ・ガゼット(英語版)』紙面より転記する。 「ホースヘッズで大火猛威を振るう—村の商工業分野ほぼ壊滅—資産の損壊甚大—被害総額は推計10万ドルか」 「昨夜、当村と姉妹関係にあるホースヘッズ村は、記録に残る限り最も恐ろしい大火に見舞われた。村の商工業地区はまるごと廃墟と化し、どれほどの資産を損失したか計り知れない。火災は劫火と化し、村民の心を踏みにじり財産を食いつくし、ホテルやホール、通りの一画、店も小店も住居なども飲み込まれた。残されたのは延々と広がるまっ黒な瓦礫ばかりである。 –村で唯一、ウィテカー・マクドナルド屋のみ焼失を免れた。 「1時前後に出火、火元はレイモンド厩舎(チャーチ通りとフランクリン通り角)、またはコルウェルズホテルに隣接する納屋の1つと見られる。ホースヘッズには消防車の配備がなかったことからバケツリレーによる消火活動を試みたが、火勢に太刀打ちできるものではなかった。結果として炎は建物づたいに飛び火してフランクリン通りの東側に延焼、賃借人S・ランドールが営む靴店が入居するコンフォート・ベネット閣下所有の建物を破壊。閣下の損失額は推定1000ドルだが、すでに公に伝わるとおり保険にはかかっていなかった。ランドールの損失資産はおよそ400ドルとのこと。 「この村(エルマイラ)とホースヘッズ間の駅馬車業を営むレイモンドは、自宅ばかりか納屋と挽き馬を焼失-被害総額約1万3500ドル相当という。ランドール靴店から東の全焼した建物は次のとおり。S・H・マクスウェル、店舗、被害額1200ドル、保険額800ドル。ウィリアム・レイノルズ(エルマイラ在住)賃貸用店舗2軒、推計被害額1500ドル。その2軒のうち1軒の借家人ウィリアム・T・カーペンターの食料品店は被害総額1000ドル、保険額400 - 500ドル。もう1軒の借家人J・S・ハンフリーの書店兼文具店は店舗内に郵便局を置き、書籍、紙製品や便箋その他の一部は被災を免れた。 「総損失額はおそらく10万ドル超と見込まれるものの、保険の補償対象はわずか1万5000ドル相当しかないという。村と周辺にとって深刻な打撃である」。
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