魏晋南北朝時代の数学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 15:34 UTC 版)
3世紀に、劉徽は九章算術の注釈本を著すと、ピタゴラスの定理(九章により既知のもの)および三角測量や四角測量の使用を扱う『海島算経』も執筆した。数学的測量における彼の功績は、西洋で千年かかって到達したものを上回った。彼は自身の円周率演算式(en:Liu Hui's π algorithmを参照)でπ= 3.1416を計算した、最初の中国の数学者である。彼は円柱の体積の正確な公式を見つけるためのカヴァリエリの原理の使用法を発見し、さらに西暦3世紀に微分積分学の要素を開発した。 4世紀に、祖沖之という別の有力な数学者が大明暦を導入した。 このカレンダーは、ある期間に起こりうる多くの宇宙論的サイクルを予測するために特別に計算された。彼の人生についてはほとんど知られていない。今日では、唯一の情報源として『隋書』があり、祖沖之が数学者の一人だという事が分かっている。彼は劉徽の円周率演算式(96角形)を使ってそれを1万2288角形に適用し、小数点以下7桁までの正確な円周率の値(3.1415926<π<3.1415927)を得た。これは以後900年にわたって利用可能な最も正確なπの近似値となった。彼はまた自分の天文学と数学の仕事においてこの無理数を分数で近似化するために何承天の調日法を使って、円周率の近似値となる良い分数の密率 355 113 {\displaystyle {\tfrac {355}{113}}} を得た。三上義夫は、1585年にオランダの数学者Adrian Anthoniszoomがそれを再発見するまで、ギリシャ人もヒンズー教徒もアラブ人もこの近似分数について知らず、「それゆえ中国人はヨーロッパよりも丸一千年以上早く、全ての小数値の中で最も精緻なものを持っていた」と述べている。 子の祖暅と共に、祖沖之は球の体積を計算する正確な解を見つけるためにカヴァリエリの原理を使った。球の体積の公式に加えて、彼の著書には3次方程式の公式および円周率の精緻な値も掲載されていた。彼の著作『綴術』は宋代に数学摘要から不要とされて散逸した。『綴術』は線形代数、行列代数、πの値を計算するための演算式、球の体積の公式やそれらの手法を含むものだと広く信じられている。このテキストはまた、私達の現代数学と似た知識を含むであろう、彼の天文学的な調日法と関連があるともされている。 西暦200年-400年の間に遡る『孫子算経』と呼ばれる算術書は、算木を用いた乗算と除算アルゴリズムの最も詳細な段階的説明を含むものだった。孫子は位取り記数法とその発展に関与すると共に、関連のある西洋のガレー法 (galley method) に影響を与えた可能性がある。ヨーロッパの研究者達は13世紀に、アル=フワーリズミーによる9世紀初頭の研究のラテン語翻訳から位取りの技法を学んだ。フワーリズミーの表現は、様式的な点でも孫子の除算アルゴリズムとほぼ同じである(例えば、末尾のゼロを表すために空白を使用するなど)。その類似性は、結果が独立した発見ではなかった可能性を示唆している。フワーリズミーの著作に関するイスラム評論家は、それが主にヒンズー教の知識を要約したと信じていた。アル=フワーリズミーは自分の情報源を引用しなかったため、それらが中国から順番に手順を学んだかどうかを判断するのは困難である。 5世紀に『張丘建算経』と呼ばれる教本が線形方程式および二次方程式を論じた。 この時点で中国人は負の数という概念を持っていた。
※この「魏晋南北朝時代の数学」の解説は、「中国の数学」の解説の一部です。
「魏晋南北朝時代の数学」を含む「中国の数学」の記事については、「中国の数学」の概要を参照ください。
- 魏晋南北朝時代の数学のページへのリンク