魏晋南北朝 - 唐代とは? わかりやすく解説

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魏晋南北朝 - 唐代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 04:15 UTC 版)

目録学」の記事における「魏晋南北朝 - 唐代」の解説

四部分類」および「図書分類法#中国」も参照 『漢書』芸文志六部分類法取っていたが、後漢紙の発明、また時代とともに増加する歴史書増加影響を受け、他の分類方法試みられようになった。まず、西晋荀勗が撰した『中経新簿』において、四部分類方法試みられた。これは、甲部(経書小学、もとの六芸略)・乙部諸子百家術数兵書など、もとの諸子略兵書略術数略・方技略)・丙部(歴史書史記旧事など)・丁部(詩譜など、もとの詩賦略)の四部分けるものである東晋入り充が乙部と丙部を入れ替え乙部歴史書、丙部を諸子百家の書とし、これによって「経・史・子・集をもって称される四部分類」が完成し、この形式が現在まで続いている。「史部」が独立したこの形式は、この時期歴史書飛躍的に増加したことを反映している。但し、南朝宋末に王倹王僧綽の子)が『七略』に倣った七志』を作るなど、六部分類を取るものも消えたわけではなかった。 また、この頃から仏教・道教関係の書物合わせて分類されるようになり、阮孝緒(中国語版)の『七録』は、内篇五部経典紀伝・子兵・文集術数)と外篇二部仏法仙道からなる。これは全体分類数としては「七」を意識しているが、内実は「術数」が独立しただけで四部分類一種である。本書南朝梁官撰目録継承しており、『隋書』経籍志分類大きな影響与えた。 特に、南朝梁武帝元帝治下では豊富な蔵書蓄えられ、『七録』を始めとする数種類目録制作された。しかし、西魏軍隊都に侵入すると、元帝宮廷蔵書焼き払い相当数失われてしまった。その後、隋によって中国再統一される前後牛弘の案によって懸賞金付き民間から書物集め宮廷図書館蔵書強化された。隋代には『開皇四年四部書目』や、許善心中国語版)の『七林』、王劭(中国語版)の『開皇二十年書目』などが制作された。 唐代に入る際、再び多く書物失われたが、令狐徳棻提言のほか、魏徴虞世南顔師古などの働きもあり、蔵書は再び徐々に蓄積された。

※この「魏晋南北朝 - 唐代」の解説は、「目録学」の解説の一部です。
「魏晋南北朝 - 唐代」を含む「目録学」の記事については、「目録学」の概要を参照ください。

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