内篇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 15:39 UTC 版)
内篇は20篇からなる。それぞれの題は以下のとおりである。 暢玄・論仙・対俗・金丹・至理・微旨・塞難・釈滞・道意・明本 仙薬・弁問・極言・勤求・雑応・黄白・登渉・地真・遐覧・祛惑 ほかに「別旨」という篇があるが、孫星衍はこれを後世の追加として除き、通常はこれに従う。 葛洪はまず人が仙人になれること、仙術が実在することを論証している。普通の人が仙人になったことは多くの文献に載っているから信じることができるとし、また人類は万物の霊長であるから、寿命で鶴や亀を越えられるはずだとする。 仙術のうち葛洪がもっとも重視するのは金丹で、金丹の服用によってのみ永遠の生命を得ることができるとする(金丹篇)。金丹は丹砂(天然の硫化水銀)を材料として得られる還丹と黄金を材料とする金液を使用する。金丹の強調は『抱朴子』以前には見られない。『抱朴子』は錬金術についても語り、丹砂から黄金が得られるとするが、材料が入手できないので実際には作っていないという(黄白篇)。 しかし金丹の術を達成するのは容易ではないので、ほかの術を併用することで寿命を伸ばすべきだとする(微旨篇)。『抱朴子』の扱っている仙術には導引・行気(体操と呼吸法)、房中術、飲食の節制、薬物の摂取、護符、精神統一があり(至理篇)、とくに導引・房中・丹薬の3つを重視する(釈滞篇)。地真篇に見られる「守一」は一種の瞑想法で、のちに道教の重要な修行法として取りいれられた。 『抱朴子』の特徴として、仙術の実践だけでなく忠孝・和順・仁信などの儒家的な徳目を含む善行に励む必要があるとする点がある。『抱朴子』は緯書を引いて、体内の三尸が庚申の日に司命神に人の悪事を訴え、また竈の神も晦日に司命神に悪事を訴えるという説を述べ、司命神は訴えられた悪によって人の寿命を縮めるため、せっかく仙術を行っても無効になるという(微旨篇。司命神については対俗篇に見える)。道徳主義は『抱朴子』の特異な点であり、後に『太上感応篇』に代表される善書に発展した。 その一方で、祈祷は無意味として批判している(道意篇)。 道家と儒家の関係については、道を本、儒を末とする(明本篇)。また仙術と儒家との矛盾にも注意を払っている。対俗篇では仙人になることが世を捨てて祭祀を顧みないことだという批判に答えて、寿命をのばすのは親からもらった体を傷つけないという孝の教えに従っていると言う。塞難篇や弁問篇では聖人が仙人になれなかった理由を説明している。 遐覧篇では当時の道書や符の一覧(全679巻)を示しているが、そのほとんどは現存しないので貴重な資料になっている。このうち『三皇内文』をもっとも重視する。 道教は仏教の強い影響を受けて成立したが、『抱朴子』にはまだ仏教の影響が見られない(ただし村上嘉実は仏教の影響があるとしている)。
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