さん‐こう〔‐クワウ〕【三皇】
三皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/23 23:47 UTC 版)
白珠龍(はくしゅりん) 声 - 清水香里 西王母。元は孤児だったが、先代・西王母の逝去後、先代の死ぬ日死ぬ時間に宿星の天体の並びの正反対の位置にいたため、西王母に抜擢される。その後、瑶池宮にて、忍び込んだ一葉と出会い、親友となる。16歳で天仙となり、成長が止まる。 幼い頃はある事情から男物の服ばかりを着ていて、武芸に興味を示す男勝りな子供だった。髪も短かったため、一葉から男と勘違いされていた期間もあったためか、一葉と会う時に「ヒラヒラした服」を着ることを嫌がる。 白珠龍とは親友でありながらも、同時に西王母を恨んでいた一葉は、白珠龍の正体が西王母であることを知って以来、西王母即位式典が行われる4年間、珠龍に会うことを止めており、今も微妙な関係が続いている。 蒼香茗(そうこうめい) 声 - 豊永利行 東王父。気が強く、包容力のある男性。裁縫が得意で、幼い珠龍の服を縫ったこともある。容姿は女性にしか見えず、女口調である。
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三皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 18:59 UTC 版)
三皇については諸説あるが、以下のような5説がよく知られている。 天皇・地皇・人皇 - 前漢・司馬遷『史記』秦始皇本紀において皇帝という称号を定める文脈でこの三皇が挙げられており、泰皇の「皇」と「帝」号を組み合わせて皇帝としたと伝えられている。ただし、ここでは「三皇」という語でまとめられていない。注釈である唐の司馬貞『史記索隠』では泰皇=人皇としたり、天皇・地皇・人皇を三皇としてその前に泰皇がいたとしたりする。司馬貞が補った『史記』の三皇本紀(補三皇本紀または補史記という)では三皇を伏羲、女媧、神農とするが、天皇・地皇・人皇という説も並記している。 伏羲・神農・女媧 - 『春秋緯運斗枢』(『風俗通』皇覇篇に引く)。唐の司馬貞補『史記』三皇本紀もこれを継承する。 伏羲・神農・燧人 - 『礼緯含文嘉』(『風俗通』皇覇篇に引く) 伏羲・神農・祝融 - 後漢・班固『白虎通』号篇 伏羲・神農・黄帝 - 西晋・皇甫謐『帝王世紀』 最初に表れるのは天皇・地皇・人皇という天地人三才に由来する抽象的な存在であるが、後には人類に文明をもたらした文化英雄が名を連ねる。これらは前漢末から隆盛した神秘主義的な讖緯思想によって半獣半神の姿をした神として描かれている。なお伏羲と神農に関しては早く『周易』繋辞下伝に卦を使って文明をもたらした聖人として黄帝・堯・舜に先行する存在として描かれているのであるが、これを三皇に入れ、三皇を歴史的な帝王として五帝の前に置くことが固定化するようになったのは魏晋以後のことと考えられる。
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