内約期間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:21 UTC 版)
成子内親王は生物学に関心を持ち、父帝の研究所での勤務を希望していたというが、1941年(昭和16年)5月に東久邇宮稔彦王の第1男子・盛厚王との婚約が内定(内約)し公表された。 1943年(昭和18年)3月に女子学習院中等科卒業。学業成績は極めて優秀だったが、高等科へは進学せず花嫁修業をする。 麹町三番町を仮寓所とし、華道や器楽(ピアノ、ヴァイオリン)、マナー、和歌や料理などを学んだが、成子内親王自身は掃除など今までしたことがない経験や、将来の新しい生活を楽しみにしている様子だった。 後年、結婚に前後した心境を次のように語った。 「 お式の日、御所をあとにしたときも悲しくもなく、不安な気持ちも、嬉しい気持ちもありませんでした。まだそのときは盛厚さんに対しても愛情を感じるほどに至っていなかったのでしょう。でも盛厚さんはまじめな人だったから、素直に尽くすことが出来ました。両方とも一年くらいたってからだんだん愛情が湧いてきました 」 —秋元書房『皇女照宮』 p.139
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