内紛と滅亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 17:25 UTC 版)
第12代スルターンであるアシュラフ4世以降、5人のスルターンが次々に擁立され、激しい内部抗争を繰り広げたため、ラスール朝は分裂状態となった。1442年、第13代スルターンにはムザッファル2世が立ったが、同年にはアブド(後述)によってナースィル2世が第15代スルターンとして担がれたほか、翌年の1443年にはザビードの守備隊や住民に擁立されて第10代スルターンであるアシュラフ3世の息子であるマスウードが第16代スルターンとなった。ムザッファル2世とマスウードは武力を用いた内紛を開始し、首都であるタイッズを巡って1448年まで抗争を繰り広げた。ムザッファル2世とマスウードの内紛による混乱と弱体化を嫌悪したザビードの守備軍らは1451年、新たにムアイヤド2世を第17代スルターンとして擁立した。しかし、その後、ザビードの有力者は、当時アデンを占領していた、南部山岳地帯出身の部族であるターヒル家に帰順した。ターヒル家は急速にイエメンの都市を制圧した。 1454年、ムアイヤド2世はアデンにてターヒル家によって身柄を確保され、全ての所持品を没収された。これによってラスール朝は滅亡し、ターヒル家によるターヒル朝が成立した。ムアイヤド2世にはわずかな武器と馬が与えられてマッカへ亡命し、1466年、そこで死去した。
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