内紛と呼韓邪単于
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 05:42 UTC 版)
漢に対抗できなくなった匈奴は何度か漢に和親を求め、握衍朐鞮単于(在位:前60年 - 前58年)の代にもその弟を漢に入朝させた。しかし一方で、握衍朐鞮単于の暴虐のせいで匈奴内で内紛が起き、先代の虚閭権渠単于の子である呼韓邪単于(在位:前58年 - 前31年)が立てられ、握衍朐鞮単于は自殺に追い込まれた。これ以降、匈奴内が分裂し、一時期は5人の単于が並立するまでとなり、内乱時代を迎える。やがてこれらは呼韓邪単于によって集束されるが、今度は呼韓邪単于の兄である郅支単于が現れ、兄弟が東西に分かれて対立することとなる。呼韓邪単于は内部を治めるため漢に入朝し、称臣して漢と好を結んだ。漢はこれに大いに喜び、後に王昭君を呼韓邪単于に嫁がせた。漢と手を組んだ呼韓邪単于を恐れた郅支単于は康居のもとに身を寄せたが、漢の陳湯と甘延寿によって攻め滅ぼされた。 こうして再び匈奴を統一した呼韓邪単于は漢との関係を崩さず、その子たちもそれを守り、しばらく漢と匈奴の間に平和がもたらされた。
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