中国における喫茶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 09:55 UTC 版)
中国では「茶」は「茶 ちゃ chá」とも「茗 めい míng」とも呼ばれる。唐代に陸羽が著した『茶経』によれば、神農の時代からお茶が飲まれてきたと言われている。漢の時代に書かれた詩にお茶を表す文字が見られ、それが最古の文献と言われている。当時は、嗜好品というよりも薬としての役割が強く、次第に羹のような食べ物としても利用されるようになった。 茶の飲用は魏晋南北朝時代に今日の四川省の辺りで始まり、次第に周辺地域に広がった。隋・唐代には、お茶を火にかけ煮出す方法や、抹茶、煎茶など、さまざまな楽しみ方がされ、同時に茶器の原型といわれるものが多数考案された。唐代には喫茶の風習が北方民族に広まり、茶と馬を交換する茶馬交易が始まるなど、茶は重要な産物として扱われるようになった。宋代に入って、お茶の新しい製法が次々に考案され、茶の種類が大幅に増えた。この時代、闘茶などの遊びも考案された。お茶が主要な輸出品となった。わずかしか生産されない初芽を使った新茶は、かつては皇帝に献上され、いまは国家指導者のためと外国来客の接待用に北京直送されるという。明代に入り、朱元璋が1391年(洪武24年)に福建省において団茶の製造禁止を発令し、中国の喫茶法に変化が生じた。固形茶が廃れ、散茶をお湯に浸して抽出する泡茶法が主流となる。それに応じて茶器のなかでも点茶器が廃れ、茶壺など泡茶器の重要さが増した。清代、茶器が現在使われている茶器とほぼ同じ物になった。
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