中国における唱導
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/28 03:51 UTC 版)
慧遠が住んだといわれる廬山(中華人民共和国江西省)世界文化遺産に登録されている。 中国にける唱導は、南北朝時代から隋を経て唐の時代にわたって布教法の一環としておこなわれた。梁の慧皎が著した『高僧伝』(519年成立)巻十三には、説経師とならんで唱導が布教方式として挙げられており、廬山にあった慧遠を初期の唱導師として掲げている。唱導師はその出自の貴賤を問わず法会・斎会に招かれ、巧妙な語りと美しい節回しで聴衆を信仰の世界にいざなった。このとき説経師が同時に招かれて経典を講ずることもあった。唱導師は、教理に関する知識よりも美声であることを第一の要件とし、しだいに節回しの美しい詠唱そのものが求められるようになり、唐代にいたっては梵唄(声明)と変わらぬものへと転化した。ただし、前掲『高僧伝』には唱導の要素として第一に声、つづいて弁(弁舌)、才(才知)、博(博識)を掲げている。 唐代の道宣の著した『続高僧伝』(645年成立)によれば、隋代に法韻という仏僧が「諸々の碑誌および古導文百余巻」を誦したこと(巻三十)、また、隋の彦琮が新しい唱導法を編み出して旧来のものを改めたこと(巻二)などが記されており、時代の変化に応じて唱導のあり方も変わっていったことがうかがわれる。
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