中国における公の称号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/16 01:01 UTC 版)
詳細は「爵位#中国における爵位」および「公爵#中国の公爵」を参照 儒家によって理想化された周の封建制理念においては、諸国の君は周の王である天子によって爵(爵位)を授けられた諸侯であると見なされるようになった。そこにおいて諸侯の爵位は公・侯・伯・子・男の五等爵に分かれていたとされる。公の爵位は魯公など周王室の親族出身の諸侯にのみ許される諸侯の最高位であると考えられるようになった。 天子の国である周を除く諸国では、君主の称号として王に代わって公がもっぱら用いられた。戦国時代に有力な諸侯が王の称号を名乗ったため天子による「王の称号独占」は消滅した。さらに漢では有力な皇族や功臣が諸侯として王に封ぜられたので、公の位は王に継ぐ諸侯の称号として皇族や功臣に与えられるようになった。 その後、爵位に関する制度の変遷と共に様々に内実を変化させつつ、20世紀初頭の清の滅亡に至るまで、公の称号は皇族や功臣に与えられる爵位として用いられていた。
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