金属加工と宝石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:52 UTC 版)
「ウィリアム・バージェス」の記事における「金属加工と宝石」の解説
バージェスはゴシックにヒントを得た金属加工品と宝石の著名なデザイナーであり、「ゴシック復古調におけるピュージンの後継者」と呼ばれていた。もちろん建築家が第一だったが、エドモンド・ゴスはその建造物を「建築と言うよりも宝石」と表現しており、クルックは「バージェスのデザイナーとしての才能は、宝石や金属加工の完成度にあらわされていると述べている。バージェスは個人的な注文あるいは美的統一感を完成させた建物のための装飾計画の一部として、宗教的な加工品(燭台、聖杯、佩用十字架)で加工を始めた。その例として、ブライトンのセントミカエル教会の聖杯、セント・フィン・バーレの大聖堂の上に立つ天使像(大聖堂への個人的な贈り物だった)、ダニーデンの司教杖があった。この杖は象牙に彫刻が施され、聖ジョージが龍を殺す様を描いており、ダニーデンの初代司教のために作られた。1875年、バージェスはフランスの雑誌に13世紀に作られた物としてそのデザインを掲載し、そのトリックとジョークにおける喜びの例としている。パトロンからの注文も受けており、スニードのデザートサービスやビュートのクラレット・ジャグを作った。1872年4月3日、バージェスはゴシック様式のブローチをビュート侯爵と新妻の結婚のために制作した。1873年9月、侯爵夫人のために別のブローチを、ゴシックのGの形で金の紋章盾をエナメル加工し、宝石と真珠をちりばめた。これに続いてネックレスとイヤリングを制作し、「カステッラーニの考古学的なスタイルにおけるデザインを」試みた。バージェスがビュート夫人のために夫へのプレゼントとして制作した別の作品例は、銀の薬味セットであり、塩と胡椒の小さな樽を抱える2つの中世風従僕の形を採っていた。これは「あらゆる物を与えられる者に与える物は何か」という問いに対する答えだった。 しかし、その最も著名な作品の幾つかは、自分のために創ったものであり、建築コンペに勝利した時の利益で作られることが多かった。その例として象のインクスタンドがあり、クルックは「その創造者の特別の天才性を示す縮図そのもの」と考えている。また一対の宝石付きデカンターは、クリミア記念教会の計画に対して料金とともに支払われたものであり、バージェスの一連の講義「産業に応用された芸術」に対するものだった。猫のカップは裁判所コンペを記念してバーケンティンによって創作されたものであり、それについてクルックは「その技術的名人芸は芸術と工芸の相にとって標準となる。しかし、全体的概念、材料の範囲、創造力、発明性、デザインの完全な嗜好は特に得意満面のバージェスである」と記している。バージェスは、とかくほのめかしや語呂合わせを愛することに耽溺したより実利的な物もデザインしており、人魚、蜘蛛など生物をあしらった銀器や、タワー・ハウス用のナイフとフォークのセットがある。このセットの持ち手はニコルズが彫刻を施し、「肉と野菜、子牛の肉、鹿の肉、玉ねぎ、豆など」の象徴を描いている。バージェスは博識な批評家でもあり、同時代の者から「ヨーロッパの甲冑について最良の判断者の1人」と呼ばれている。甲冑の大きなコレクションはその死の時に大英博物館に遺贈された。 バージェスの最も重要な作品の行方は不明となっているが、時として発見されることがある。友人のジョン・ポラード・セドンの結婚プレゼントとしてデザインしたブローチがBBCのテレビ番組「アンティーク・ロードショー」で同定され、その後の2011年8月のオークションで31,000ポンドで売却された。
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