逆向きのカール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 09:15 UTC 版)
ストーンの軌道が大きく曲がる(カールする)という性質は、カーリングのゲームを面白くさせている大きな要素である一方で、物理的にも興味深い問題である。衝突の動きが初等的な力学で比較的よく記述されるのに対して、カールの物理的メカニズムには諸説あってはっきりしていない。 経験的にカールは次のような特徴をもつ。カールの効果は氷の状態によって大きく変化するものの、極めてはっきりしており、通常、曲がりの大きさは元の軌道と比べてストーンの停止までに1メートル前後にも達する。まったくペブルのないアイスの方が曲がりは大きいが摩擦も大きくなり遠くまで飛ばなくなるため、ペブルの存在はカールよりも摩擦の低減に寄与している。ストーンの角速度(回転の速さ)はカールの効果に顕著に影響しないことが知られており、幅広い角速度の範囲で回転は曲がる方向を決めているにすぎない。角速度の大き過ぎるストーン(スピナー)はむしろ余りカールしなくなり、ストーンの角速度は通常ハウスまで2 - 3回転程度となるよう小さく保たれている。また、カールの効果もハウスに近づきストーンの直進速度が小さくなってから顕著になることが知られている。 だがこうしたこと以上に物理的に興味深いことは、カーリングのストーンが、回転しながら接触面の上を進む物体が摩擦によって曲がると普通予想される方向とは逆に曲がるということである。カーリングのストーンでは、そのコースは回転方向と同一の方向、すなわち、上からみて反時計回り(右手のアウトターン)に弱く回転させたストーンはハウスに近付くにつれて進行方向に向かって左に、時計回り(右手のインターン)は右に曲がる。ストーンの氷との接触面であるランニング・バンドと同様にリング状の接触面を持つものとして、机の上で反対向きに伏せたグラスなどを同じように回転させながら滑らせてみると、グラスはカーリングのストーンとは逆向きに曲がっていく。すなわちグラスにおいてはカールの方向は反時計回りで右となる。 グラスの曲がる方向は通常の摩擦の考え方で理解できる。以降、上からみて反時計回りに回転する場合のみを考える。進行方向を変えるのは進行方向に直交する摩擦の成分である。これは主にリング状の接触面の進行方向前部と後部の摩擦力が寄与する。対して、接触面の左右は横向きの正味の力をほとんど生み出せないため曲がりにはほぼ寄与しない。グラスの重心が接触面よりも上にあるために、グラスの接触面前部における方が後部よりも押さえつける力が大きい。よって、通常の動摩擦の関係のように接触面への力が大きいほど摩擦力も大きいとの関係が満たされるとき、接触面前部による進行方向右向きの摩擦力の方が後部の左向きの摩擦力より大きくなり、進行方向右向きの正味の力が生まれることになる。 このカーリング・ストーンの逆向きの曲がりという謎を説明するために1920年代以降よりいくつかの説が現れてきた。カーリングのストーンでも速度を持つときはグラスと同様に進行方向前部での押さえつけの力が大きいはずであるが、曲がる向きが逆になることは、少なくともある条件の元で押さえつける力が大きくなるとかえって摩擦が小さくなっていることを示唆している。そこで1981年にジョンストン (G.W. Johnston) は、曲がる理由をランニング・バンド前部で大きくなる摩擦による熱が氷の摩擦係数をかえって低くしているためだとした。 ジョンストンのアイデアは氷の融解を考えるものではなかったが、カナダの物理学者で自身カーラーでもあるマーク・シェゲルスキー (Mark R.A. Shegelski) は、1996年、溶けた水の非常に薄い膜がストーンの接触面に形成されるのだとした。カールの問題に対して最も精力的に研究を公表しているシェゲルスキーは、圧力の強い前面ではこの膜が厚くなるために、摩擦力を後部より小さくしているとする。またストーンが水の膜を引きずりやすい性質をもつ花崗岩で作られ、摩擦の方向は氷面に相対的な速度の方向ではなく、この引きずられた水の膜に相対的になっているとする。さらにストーンの停止間際では引きずられた膜が一周して前面がさらに厚くなり、一層曲がりやすくなる。こうしたことから予測される性質の一部は実験的に確認されている。 これとは別に日本の前野紀一は、2009年にストーンのカールが蒸発による温度低下とペブルの摩耗によるとする説を提案している。この説では、ランニング・バンド前部で熱せされた氷は瞬間的に蒸発して気化熱を奪い、後部ではむしろ温度が低下して摩擦係数が大きくなるのだとする。さらに前部ではペブルの一部が摩耗して氷の屑が作られるために、さらに後部の摩擦は大きくなるとする。 2012年には、スウェーデンのニーベリ (Harald Nyberg) らがストーンが通過するときにランニング・バンド前部によってストーンの接触点であるペブル上につけられた高さ0.01ミリメートルに満たない程度の多数のひっかき傷がストーンの軌道を変えているのだとした。進行しつつ回転するストーンは軌道に対して数度程度斜めになった微小な傷をペブルの先端に作る。ランニング・バンド後部のストーンの微小な凹凸がこれに引っかかり、傷に沿うように動こうとするため横向きの力を生み出すのだとする。ニーベリらはこうした傷を顕微鏡写真で調べるとともに、ランニング・バンドを磨き凹凸を少なくしたストーンではカールの効果が現れないことを実験的に示した。 ストーン左右での摩擦の非対称性は、通常の摩擦においては横向きの力を生み出せないためカールの説明とならないが、2000年にカナダのレイモンド・ペナー (A. Raymond Penner) は、摩擦が部分的に粘着的なものなら、ストーンの遅い側(反時計回りで左側)で優越的なピボット(旋回軸)として作用し、横向きの力を生み出しうると示唆していた。これを発展させ、2016年以降、カナダのエドワード・ロゾウスキー (Edward Lozowski) とシェゲルスキーは、ピボット=スライド・モデル (pivot-slide model) と呼ばれるモデルを提案している。 このモデルでは、断続的で瞬間的なペブルによる引っかかりをピボットとしてストーンがわずかずつ進行方向を変えるものと考える。ロゾウスキーらはこのモデルにより、ストーンの初速やペブルの形状・密度、氷の硬さ・ヤング率などのパラメータをもつ簡易な式で停止までのカールの量を表せるようになったとしている。また、式はストーンの回転角速度に依存せず、他の説では説明が困難だった回転の速さがカールの量とほとんど関係しないという特徴的な性質も説明できるとする。 いずれにしても、ストーンがカールする量が氷面のペブルの状態やコースの使用状況、氷面の温度、ストーンの速度などに応じて、敏感な変化を起こす状態に調整されていることは、ストーンの動きの状況に応じた鋭敏な変化をもたらし、ひいては競技者の氷の読みに対する経験とそれにもとづく判断が競技において重要なものとなる物理的な要因となっている。
※この「逆向きのカール」の解説は、「カーリング」の解説の一部です。
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