議員、銀行家、投機家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/11/17 10:00 UTC 版)
「クリストファー・ゴア」の記事における「議員、銀行家、投機家」の解説
1788年、ゴアはマサチューセッツ州議会下院議員に選ばれた。新しいアメリカ合衆国憲法によって求められる行動について、州の規則を採用するために指導的な役割を果たした。ゴアの提案によって、州議会は大統領選挙人が上下合同委員会によって選ばれることになった。また、下院と上院がアメリカ合衆国上院議員の選択で別々の投票を行い、合意によって決めることも提案した。この方法では一般の有権者が選択に関わる可能性を著しく減らすものだった。ゴアの選択は最終的に拒否され、実際には下院がまず候補者団を選定し、その中から上院が1人を選定するやり方に決まった。1789年、ゴアは再選を求めたが、当時ボストンでは反国家主義の感情が強かったために落選した。その後、議員の辞任で空いた議席のために特別選挙が行われたときに、何とか議席を確保できた。 1780年代後半にゴアが行った投機によってその富を著しく増やした。1788年、ゴアを弁護士として抱えていたボストンの実業家アンドリュー・クレイギーとゴアは、額面10万ドルの大陸証券を、その価値が騰がるであろうという投機的な価格で買うことに、秘密の合意を行った。同年10月までに二人はその目標を達した。ゴアは9万ドルの価値がある証券を約2万ドルで購入し、クレイギーに資力が許すならば獲得した11,000ドル以上で買うように促した。ゴアはマサチューセッツ州の戦争に関わる負債も購入し、マサチューセッツ州議会に働きかけて、アメリカ合衆国政府が州の負債を肩代わりさせるよう仕向けさせた。 1790年、アメリカ合衆国議会でアレクサンダー・ハミルトンが提案し、ゴアの親友であるルーファス・キングが支持した法案が通り、大陸紙幣と州発行紙幣を額面で新しいアメリカ合衆国発行の紙幣と交換することになり、ゴアの思惑が実現した。ゴアはこの交換を行っただけでなく、受け取った紙幣は売る前に額面まで価値が騰がっていた。現存する資料からゴアの得た儲けは明らかでない。ジョン・クインシー・アダムズは、ゴアが投機によって国内で最も裕福な弁護士になったと記していた。 ゴアの投機の成功で、クレイギー、ウィリアム・デュア、ダニエル・パーカーと共同事業を行うようになり、アメリカ合衆国の外国からの負債を有利な条件で獲得することにした。パーカーはクレイギーとの共同経営者であり、デュアはニューヨークの影響力ある実業家で財務省の役人でもあり、その贅沢な生活様式がゴアに影響を与えた。この共同事業により、アメリカ合衆国の土地をヨーロッパで販売し、アメリカ合衆国のフランスに対する債務を取得しようとした。ゴアはこの事業に1万ドルを投資したが、失敗した。より強力で経験豊富なオランダの銀行家がアメリカ人を上回って操縦していた。ゴアはこれら共同経営者と他の事業にも関わったが、投資に関しては注意深く金融投機に留め、共同経営者の行う危険な土地投機には関わらないようにしていた。 ゴアの金融関連活動の多くは義父が支配人であるマサチューセッツ銀行を通して行われていた。ゴア自身は1785年にその理事に選ばれ、同時に株主にもなっていた。ゴアが理事である間に、銀行は貸付に関する規制を締め付け、資本の安定性を高めた。ゴアは個人資産の多くをこの銀行に預けたが、信用取引の限度を数千ドルまでに線引きしていた。ゴアが持っていた銀行株は1791年まで高い配当を出していたが、この年に認可された第一アメリカ合衆国銀行と厳しい競争関係に入った。 第一合衆国銀行はアレクサンダー・ハミルトンが全国で安定した金融サービスを提供するために設立したものであり、ボストンにも支店を開こうとした。ハミルトンはマサチューセッツ銀行にも強く働きかけたので、ゴアも動くことにした。ゴアはマサチューセッツ銀行株を売却し、合衆国銀行ボストン支店の支配人になった。新銀行の株式200株も購入しており、これは比較的大きな投資だった。ゴアは支店の職員の雇用判断に影響力を持ち、州認可銀行をその組織に吸収しようと考え、国が認可した銀行のみが一貫して安定したサービスを提供できると論じた。1794年、ゴアは法律実務の多忙を理由に、銀行の理事を退任した。 ゴアは財産づくりに成功したので、ボストンの社交界に入ることができた。1789年、華々しいボーディン広場にある大きな邸宅を購入し、ウォルサムでも田舎の土地を購入して、その敷地は時間と共に300エーカー (120 ha) にまで成長した。そこには家を建て、敷地の大半をジェントルマン・ファーマーとして経営した。ゴアと同様な立場にある連邦主義者がマサチューセッツ農業促進協会を結成し、数年間はその役員を務めた。この組織は農業の進歩にそれほど貢献したとは見られていない。
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