藩主家
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壱岐守(いきのかみ) 【第1巻】 藩主。大富丹後の陰謀によって少しずつ毒を盛られ、やがて死亡した。間宮中老によれば、藩の財政が逼迫しているにもかかわらず贅沢を好んだという。 三之助(さんのすけ)/壱岐守 【第1巻】 前藩主の子。大富丹後の推薦で跡継ぎとなり、父の死に伴って新藩主となった。母親である満寿が大富の血筋。 【第3巻】 寿庵保方にお忍びの鷹狩りに誘われ、危うく毒殺されかける。
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藩主家
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「用心棒日月抄の登場人物」の記事における「藩主家」の解説
壱岐守 藩主。2年前に側近である船橋光四郎を暗殺したのは嗅足組ではないかとの疑念を抱いていた。その上、藩内を探索していた公儀隠密の1人を嗅足組が殺害した後、将軍吉宗に、国元に忍びを飼っているのかと尋ねられたため、万が一ことが露見することを恐れて嗅足組の解散を決定した。 お卯乃の方(おうののかた) 藩主寵愛の側室で、1男 1女を産んだ。本郷の下屋敷に住まう。 国元や江戸で頻々と人が殺される事件の背後には、彼女の出生の秘密が隠されていた。元は幕府に逆らって斬首された栂野専十郞の娘、おもよである。父の死後、住んでいた長屋の持ち主であった平野屋を通じて、長戸屋の養女となった。 その後、14歳で旗本久保家に行儀見習いに入り、16歳の時、久保家の用人、平瀬の名義養女となった上で、側室として奥に迎え入れられた。
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藩主家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 21:53 UTC 版)
藩主 正室の奥女中であったふくに手を付け、側室として寵愛した。ふくが側室おふねの一派によって危険にさらされると、ふくは寵愛を失って暇を出されて、屋代家にお預けとなったという偽の情報を流し、密かにふくを国元に戻して欅御殿に匿った。その際、磯貝、北村という剣客を護衛に付け、おみちにふくの身の回りの世話をさせた。 ふくとの間にできた最初の子は流産したが、2人目の男児は欅御殿で無事誕生した。欅御殿事件の後、この男児を大身旗本家の養子とした。 参勤交代は5月に行なっている。 寧姫 藩主の正室。ふくが奥勤めとして江戸藩邸に入った時に仕えた。 亀三郎 藩主の嫡男で、志摩守を名乗る。正室寧姫が産んだ子。 文四郎19歳の年に、病弱を理由に廃嫡、隠居させられる。 松之丞 藩主の次男。母であるおふねが正室よりも勢力がある上、藩主自身も亀三郎よりも松之丞の方を気に入っているため、亀三郎を病弱を理由に廃嫡して、松之丞を跡継ぎにしようという一派が起こった。一方、助左衛門らは亀三郎廃嫡に反対する一派に属していた。 亀三郎が廃嫡された後、代わりに世継ぎとされて志摩守を名乗る。 おふね 江戸藩邸の奥で最も勢力をふるっている側室。松之丞を産んだ。藩主の愛妾となったふくに対しては、様々な嫌がらせを行なったと言われている。 おまん 国元にいるただ1人の側室で、城奥の権力を握る。 加治織部正(おりべのしょう) 藩主の叔父(先代藩主の末弟)で、かつては家老として藩内に産業を興し、学問を広めて善政を施いた。文四郎が3歳の頃に、まだ30代の若さで藩政から身を引き、代官町の杉ノ森御殿と呼ばれる屋敷に引きこもって人前に現れなくなった。 石栗弥左衛門から秘剣村雨を伝授された唯一の人物で、老齢の石栗に代わって、文四郎に秘剣を伝授した。 欅御殿事件の際には、当初文四郎はふく親子を横山家老の屋敷に送り届けるつもりだったが、稲垣派の警戒が厳しく、やむなく加治を頼った。加治はふく親子を保護し、横山に事件の経緯を報告した。
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