藩主就任まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 01:51 UTC 版)
江戸四谷の高須藩邸に生まれる。母は正室・規姫(徳川治紀の娘)で、徳川斉昭は母方の叔父に、斉昭の子徳川慶篤と徳川慶喜は従弟にあたる。 尾張藩では10代藩主・斉朝、11代藩主・斉温、12代藩主・斉荘、13代藩主・慶臧と4代続いて将軍家周辺からの養子が続いた。また11代藩主・斉温がその在世中に一度も尾張に入国せず江戸暮らしをするなど、藩士の士気を落とす出来事が続き、下級藩士を母体とする金鉄党などが慶勝の藩主継承を渇望していた。慶勝の擁立は12代・13代と取り沙汰されたが実現せず、嘉永2年(1849年)に慶臧が死去すると、慶勝の14代藩主就任が実現する。 中下級藩士層からは藩主就任を待望されたとされる慶勝であったが、これまでの当主と異なり、将軍家との血縁が薄いこともあって、幕閣や尾張家御年寄衆からはそれまでの当主よりも一段低く見られていた。そのため、慶勝が当主として主導性を発揮するためには、重臣との合意形成が不可欠であった。
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