藩主・牧野家
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元和4年(1618年)以降の藩主牧野家の先祖は室町・戦国期の東三河地方の牛久保城主牧野氏であったとされ、初代長岡藩主忠成の祖父・成定以前の牧野家については諸説があるが、戦国大名今川氏に属して松平氏(徳川家)とは対立した(参照→三河牧野氏)。成定の代に徳川家康家臣・酒井忠次配下の東三河国衆として徳川軍に所属し、そのまま家康の関東移封に随従して天正18年(1590年)群馬県前橋市東部となる上野国大胡藩2万石の藩主、元和2年(1616年)越後長峰藩5万石藩主を経て元和4年(1618年)越後国長岡に入封した。以後、明治の廃藩まで250年間封地を動かず長岡藩主として連綿した。
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