三組衆(譜代足軽組)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 03:25 UTC 版)
三河牛久保以来、藩主牧野家に随従したとされる足軽の各家は三組衆(御身附組とも)と呼ばれる譜代足軽組を編成し、譜代の格式を誇った。この3組に所属する譜代足軽の家は81家あった。服装・兵装に通常の足軽組(並組)とは区別があり、待遇も若干優遇された。 この譜代足軽組では、牛久保以来の血統を重んじて、譜代の家柄以外とは、通婚関係をほとんど持たなかったと云われている。家老・先法などトップクラスの譜代の家系が、関東(大胡藩)以降の新興家臣と縁組を持ったのに対して、対照的である。
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