藩主父子蟄居確認
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 23:14 UTC 版)
同日、巡見使の本隊、石川・戸川らが萩に入る。 同日、萩へ赴こうとする伊佐の二卿の元に俗論派政府の使者が来て、萩行き中止を請う。二卿は萩行きを断念し、藩主への挨拶として中岡慎太郎を萩へ遣わす事とした。また萩に幕府方が来ており、諸隊が萩に迫る場合、兵力を持ってこれを拒むの備えありと伝える。 12月21日、萩に至った巡見使石川が、毛利藩主父子の蟄居状況を確認し、条件履行は問題ない旨を確認し、翌日萩を出発する。長谷川も23日に萩を出発し、巡見使は長州が戦争回避条件を満たしていることを確認した上で長州を去った。 12月23日、総督府は諸藩に対し、『三條実美始五人当月二十五日比迄に松平美濃守へ引渡候手順に運び候得共附属之暴徒不伏之者も有之候付兵士差向及説得其次第により彼等打取実美始早々引渡旨大膳より相届候付為心得相達候事』と伝え、残された五卿の渡海についても履行の目処が立った事を周知した。
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