藩主館について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 00:36 UTC 版)
倒壊以前の藩主館そのものを描いた絵や写真などの物は無いが、平成10年(1998年)に久山町の旧久野邸から御別館の敷地の絵と藩主館などの見取り図が描かれた『犬鳴御別館絵図』が発見され、若宮町(現宮若市)に寄贈された。 平成19年(2007年)宮若市観光協会などにより見取り図を元に模型として御別館を復元することになり、見取り図を調べた結果、藩主館には玄関が設計されていないことが分かった。このことで犬鳴御別館が実際に藩主の幽閉目的で作られたと言われているが、それを決定付ける文献は出てきていない。 平成20年(2008年)に御別館の模型は見取り図通りに作られ、宮若市中央公民館 若宮分館に展示されている。御別館復元模型では大手門および搦手門は二層造りの楼門になっているが、平成27年(2015年)に福岡市博多区の某古美術品店で発見された大音家文書の御別館古写真(明治七年撮影)では大手、搦手両門共に単層の八脚門になっている。 昭和39年(1964年)に没した藤嶌みやさん(犬鳴在住・明治四年生)の記憶によると、14歳だった頃、倒壊した犬鳴御別館の畳・木材などの廃材を担いだ人足たちの行列を毎日のように見かけていたと言う。
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