藩内の位置づけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 03:29 UTC 版)
藩が徴税権を代行する形で蔵米知行制に転換した諸藩にあって、本来であれば、地方知行を与えられる武士に栄誉的に与えた格付けが給人である。 地方知行を与えられる家老から馬廻までの総称である『給人』という呼称や格式を、馬廻以上の家柄の武士に与えたのである。但し、藩によっては、馬廻は、給人ではないこともある。もっとも、家老・年寄・加判など給人であることが、当たり前であるような重臣である場合は、わざわざ『給人』という呼称を使用しないこともあった。 江戸時代に、給人を名乗る格式の藩士は、一般に「上の下」とされる家柄の者である。 幕府が諸藩を指導して給人という呼称を用いさせたり定着させようとした事実はないにも関わらず、多くの諸藩には、給人または給人席、あるいは給人格という身分・家格が存在した。 飫肥藩では65石取り以上を『乗馬以上』、50石取り以下を『小給人』と呼称し、米沢藩では『給人』は侍組と分領家の総称として扱われ、給人のことを給地では「地頭」と呼称していた。 給人はごく大雑把に、 (1)家老 - (2)年寄・中老 - (3)用人・番頭 - (4)物頭・大目付 - (5)取次・奏者 - (6)給人・目付 - (7)馬廻- (8)中小姓 - (9)祐筆・代官 - (10)徒士目付・与力 - (11)徒士・同心 - (12)中間・小者という序列に組み込まれていた。馬上を許されるのは小規模な藩では給人から、大規模な藩では馬廻りからとする例が多い。
※この「藩内の位置づけ」の解説は、「給人」の解説の一部です。
「藩内の位置づけ」を含む「給人」の記事については、「給人」の概要を参照ください。
- 藩内の位置づけのページへのリンク