蓮如の登場〜石山合戦とは? わかりやすく解説

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蓮如の登場〜石山合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 01:31 UTC 版)

浄土真宗」の記事における「蓮如の登場〜石山合戦」の解説

室町時代後期登場した本願寺八世蓮如1415年-1499年)は、当時民衆成長背景に講と呼ばれる組織築き人々平等に教え聴き団結できる場を提供し、また親鸞教え安易な言葉述べた御文御文章)』を著作し一般に広く教化した。この事により本願寺急速に発展拡大し一向宗呼ばれるようになった逆にこの他真宗各派衰退することとなる)。 この講の信者団結力は、蓮如制止にもかかわらず施政者(大名など)に向かった中世末の複雑な支配権並存する体制に不満を持つ々に国人土豪真宗改宗することで加わり一向一揆」と呼ばれる一郡や一国の一向宗徒が一つ団結した一揆各地で起こるようになる。そのため、この後加賀の例で記述するような大名対す反乱各地頻発し徳川家康上杉謙信など多数大名一向宗禁教令出した中でも薩摩島津氏明治時代まで禁教令継続したため、南九州真宗信者は講を組織し秘かに山中洞窟信仰守ったかくれ念仏)。 応仁の乱1467年-1477年)の頃には、当時越前国にあった本願寺根拠吉崎御坊の北、加賀国東軍西軍分かれて内乱生じると、専修寺派門徒西軍与した富樫幸千代味方したのに対し本願寺派門徒越前大名朝倉孝景仲介で、文明6年1474年)、加賀追い出された前守護で幸千代の兄である東軍富樫政親味方して千代追い出した(つまり、加賀の一向一揆は、最初真宗内の勢力争いでもあった)。しかしその後本願寺門徒富樫政親対立するようになり、長享2年1488年)、政親が一向宗討伐軍を差し向けると、結局政親を自刃追い込んで自治を行うまでになった(ただし富樫氏一族富樫正高一向一揆同情的で、守護大名として象徴的に居座っている)。その後門徒矛先朝倉氏奪われていた吉崎道場奪回向けられ北陸全土から狩り出され門徒何度も朝倉氏決戦している。 一方畿内では、吉崎より移った蓮如文明14年1482年)に建立した京都山科本願寺本拠地であったが、その勢威恐れた細川晴元日蓮宗徒と結び、天文元年1532年8月山科本願寺焼き討ちした(真宗では「天文錯乱」、日蓮宗では「天文法華の乱」)。これにより本拠地失った本願寺は、蓮如がその最晩年建立し明応5年1496年居住した大坂石山の坊舎の地に本拠地移した石山本願寺)。これ以後大坂の地は、城郭にも匹敵する本願寺伽藍その周辺形成され寺内町中心に大きく発展し、その脅威時の権力者たちに恐れられた。 永禄11年1568年)に織田信長畿内制圧し征夷大将軍となった足利義昭対立するうになると、本願寺十一世顕如1543年-1592年)は足利義昭味方し元亀元年1570年9月12日突如として三好氏攻めていた信長陣営攻撃した石山合戦)。また、これに呼応して各地門徒蜂起し伊勢長島願証寺一揆長島一向一揆)は尾張小木江城攻め滅ぼしている。この後顕如信長幾度か和議結んでいるが、顕如義昭などの要請により幾度も和議破棄したため、長島越前など石山以外の大半一向一揆は、ほとんどが信長によって根切(皆殺し)にされた。石山では開戦以後、実に10年もの間戦い続けたが、天正8年1580年)、信長正親町天皇による仲介という形で提案した和議承諾して本願寺側が武装解除し顕如石山退去することで石山合戦終結した。(その後石山本願寺跡地含め豊臣秀吉大坂城築造している。) このように一向一揆は、当時日本社会における最大勢力のひとつであり、戦国大名伍する存在であったが、真宗門徒全体がこの動き同調していたわけではない越前国における本願寺門徒専修寺派門徒高田門徒三門徒)との交戦の例に見られるように、本願寺以外の真宗諸派中にはこれと対立するものもあった。

※この「蓮如の登場〜石山合戦」の解説は、「浄土真宗」の解説の一部です。
「蓮如の登場〜石山合戦」を含む「浄土真宗」の記事については、「浄土真宗」の概要を参照ください。

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