若月彰との出会いとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 若月彰との出会いの意味・解説 

若月彰との出会い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:13 UTC 版)

中城ふみ子」の記事における「若月彰との出会い」の解説

時事新報学芸担当記者若月彰は発売直後、「乳房喪失」を購入した退勤後、自宅乳房喪失読み始めた若月夢中になってしまい、結局徹夜をする。若月当時23歳若さであった文学対す造詣深く、若いながら上手い文章を書く記者であった。そして短歌研究編長の中井英夫とも親しく、しばしば「短歌研究」に寄稿していた。また周囲の証言によれば若月は背が高く美男子であった。 「乳房喪失」に感動した若月翌朝、さっそく「短歌研究編集部中井尋ねた若月学芸担当記者として中井からふみ子に関する様々な情報入手し記事にしようと考えたのである若月親しかった中井若月ふみ子からの手紙などを見せ、更にこれまでの経緯説明した若月歌集出版されるまでの経緯把握するとともに作者ふみ子が重い癌で入院していることを知った記事ソース集めた若月出社後、さっそく上司酒井寅吉部長経過報告しふみ子記事書き始めた。しかし記事書きながら「そもそも中城ふみ子その人会わずして記事書いてしまってよいのだろうか?」という疑問が頭をもたげてきた。若月酒井部長対しふみ子会って記事書きたい直訴した。酒井逡巡したものの若月熱意認め休暇取得して札幌取材に行くようアドバイスした休暇取って取材となるため経費全て自腹になる、若月のことを買っていた丹羽文雄からお金借りて札幌向けて出発した札幌到着した若月はまず北海道新聞社山名康郎尋ねた若月訪ねた際、山名はちょう中城ふみ子記事執筆没頭していた。前述のように山名ふみ子の歌友であったが、これまで本職新聞記者として記事にしたことはなかった。しかし7月1日に「乳房喪失」が出版され職場での雑談ネタにしていたのを上司聞きつけた。山名上司からこれほどのネタ記事すべきである指摘されあわててカメラマンとともにふみ子のもとに取材目的訪れ記事にまとめる作業最終段階にちょうど、若月現れのである記事執筆終え山名若月とともにふみ子病室向かったふみ子中井英夫からの速達若月訪問事前に知っていた。若月来訪知ったふみ子口紅塗り軽くお化粧をして病室二人迎え入れた初対面時、ふみ子若月は軽い挨拶交わした程度であったという。翌日朝刊北海道新聞社会面山名書いたふみ子記事掲載された。記事大きな反響呼び今度歌壇超えて一般の人たちからふみ子病室宛に続々お見舞いの手紙が届くようになった若月また、東京執筆していた記事ふみ子インタビュー加筆する形で記事完成させた。若月記事時事新報掲載され、やはり大きな反響呼んだ北海道新聞社会面ふみ子記事掲載された朝、山名ふみ子病室若月と共に訪れた新聞社での仕事がある山名若月一緒に病室辞去しようとしたが、若月そのまま居残るという。これが意外な方向事態が進むきっかけとなったふみ子当初若月に対してそっけない態度とっていたが、次第心を開くようになっていった。ふみ子若月出会った7月初め時点で、若月に対してもう歌は作っていないと語っていた。若月ふみ子に歌を詠み続けるよう働きかけ行っていた。少しづつお互いの距離が縮まってきた頃、仕事がある若月明日帰京するふみ子挨拶行ったふみ子泣きながら自分にはもう帰るところはなく、ここで終わってしまうのだと言いもう少しいて欲しいと懇願した若月上司酒井部長事情説明した長い手紙書き札幌に留まった。手紙受け取った酒井は、若月に対して急ぎ帰って来るには及ばない旨の電報送った若月ふみ子酒井部長からの電報見せたふみ子喜び、歌を作っていかねばならないわねと答えたその後まもなく、ふみ子看病のために付き添っていた母親喧嘩となり、付き添い断り家に帰るよう訴えた。母は娘が若月に心惹かれていることを見ていた。若月ふみ子のことをお願いすると、いったん帯広帰っていった。この頃には若月旅費も底を尽きつつあったため、結局母が帯広帰った日の夜以降ふみ子ベットの下にゴザ敷いて寝るようになった。歌友たちもまたふみ子若月対す思い察し極力見舞い控えるようになっていった。 若月は母の代わりにふみ子看護行ったふみ子作歌再開していたが、若月にも詠んだ歌をなかなか見せようとはしなかった。7月20日ふみ子結果として最後となる手紙中井英夫送っている。最後の手紙の中でふみ子は、歌のことを含め、他の事はもう自分にとって必要ないが、とにかく中井会いたい記している。その晩、若月ふみ子の額にキスをする。その情景詠んだ歌が、 この夜額に紋章のごとかがやき瞬時消え口づけのあと である。 若月ふみ子自分性的な関心持ち始めていることを感じ出していた。それでもなかなか詠んでいる歌を見せようはしない7月22日夜、ふみ子ベット下の若月の眠るゴザ潜り込み、抱くように懇願した重病人のふみ子抱けばそのまま死んでしまいかねない。躊躇する若月にもう死んで良いふみ子答えた。隣のベットで眠る老婆を気にかけながら、若月ふみ子のことを抱いた結局ふみ子詠んでいた歌は翌23日深夜ふみ子寝ている隙に若月が自らのノート書き写した7月25日、さすがの酒井部長帰郷命令電報若月送った同日夕方若月帰京の途につき、翌26日には再び母が帯広からやって来てふみ子看病に当たるようになった26日の晩、ふみ子は歌友に10首の新作渡した。またふみ子は母に対して若月ふみ子黙って書き写した歌が書かれ手帳焼却依頼した。母はふみ子依頼に従って手帳焼却した。そのため最後の頃に詠んだ歌の多く原資料が無い状態となっている。 息切れ苦しむこの夜もふるさと亜麻の花むらさき充ちてゐるべし などに代表されるふみ子遺詠ともいうべき歌の多くは、若月記述したことによって残ることになった

※この「若月彰との出会い」の解説は、「中城ふみ子」の解説の一部です。
「若月彰との出会い」を含む「中城ふみ子」の記事については、「中城ふみ子」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「若月彰との出会い」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「若月彰との出会い」の関連用語

若月彰との出会いのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



若月彰との出会いのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの中城ふみ子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS