芸術作品における主題
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「ケレスとバッカスがいないとヴィーナスは凍えてしまう」の記事における「芸術作品における主題」の解説
芸術における描写は通常はキューピッドを伴い、食物や飲物がない(または衣服がほとんどない)ことによる「凍えるような寒さ」か、あるいは他の神々によって、それらがもたらされたときに快適に過ごすという、いずれかのヴィーナスを示すものに分かれている。後者のタイプはより一般的だが、バルトロメウス・スプランヘルとピーテル・パウル・ルーベンスは両方のタイプを用いた画家の1人である。北方のマニエリストの間で人気があった別の主題「神々の饗宴」のように、この主題は画家たちに比較的あいまいな古典的典拠と豊富な裸婦を描く機会を組み合わせて提供することができた。主題は絵画や、素描、印刷に登場し、しばしばこれらのメディア間や芸術家たちの間で作品がコピーされた。 当初、このモチーフの描写はテキストと密接に結びついており、そのほとんどがエンブレム・ブックと呼ばれる寓意画を多く載せた書物の中で見出され、バルテルミー・アノー(英語版)が著した1552年の『ピクタ・ポエシス』(Picta poesis)で初めて登場した。オランダの詩人ラウレンティウス・ヘクタヌス(フランス語版)による1579年のエンブレム・ブック『ミクロコスモス』(Mikrokosmos)は、ケレスとバッカスが立ち去るときの寒さで震えるヴィーナスを描写した最初の例かもしれない。ラテン語のテキストは、性的欲求を刺激するため過度の大食と飲酒に対する警告としてこのモチーフが理解されていたことを明かにしている。 説明してください、キュテラに坐すヴィーナスとキューピッドよ。なぜあなたはご自身の手足を温めているのですか? もしかして雄弁なイアッコスの助けがないのでしょうか? ほこりまみれのケレスも近くにいないのですか? 節酒が君臨する場所では、有害な愛欲(lust)は凍りつき、節度ある人間(curier)に対して戦争は行われません。しかし強力な酩酊と過剰な統治が行われる場所はどこでも、姦淫の母は冷酷な戦争を始めます。 このモチーフは16世紀後半から17世紀初頭のオランダ、およびプラハの神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の宮廷におけるマニエリスムの芸術家たちのサークルで特に好まれた。 独立した絵画の主題としてのモチーフの初期の例は、バルトロメウス・スプランヘルの1590年頃の絵画のペア、およびハンス・フォン・アーヘンの『バッカス、ケレスとアモール』(1598年)であり、すべてルドルフ2世のために描かれた。スプランヘルの作品は1597年頃に彫版師・画家のヤン・ハルメンス・ミュラー(英語版)の手によってアムステルダムで版画になった。ヘンドリック・ホルツィウスは、ここでは非常に効果的なキャンバス上の限定された色彩とペンの珍しい技法を用いた記念碑的作品を含む、少なくともこの主題の10種類のバージョンを制作した。これはまた(おそらく)ルドルフ2世のコレクションにあり、その後スウェーデンとイギリスの王室コレクションを渡り歩き、現在はフィラデルフィア美術館に所蔵されている。同じ技法による本主題に関する別の作品はエルミタージュ美術館にあり、そしてそれは背景にホルツィウスの自画像を含んでいる。 特にホルツィウスのバージョンでは、危険の含意と寓意の道徳的な点はまだ明らかだが、しかしモチーフは後になるにつれて個人的な節制についての狭い道徳的メッセージから遠く離れて行った。 いくつかの印刷バージョンは格言のテキストが掲載されており、おそらくより広く人々に説明する必要があると感じられたのだろう。モチーフへの言及は若干の作品または作品群では不明確だが、しかしこの特定のグループを結び付ける他の文脈が発見できないので、3つの神の組み合わせがアモールの有無に関係なくそれに言及していることは少なくとも議論の余地がある。ホルツィウスによる2種類の印刷のセットは3神をそれぞれ順番に示していた。ヤン・サーンレダム(英語版)によって制作されたエッチングのセットの1つではそれぞれが崇拝者に囲まれている。ヨアヒム・ウテワールの晩年の2つの絵画はバッカスとケレスの半身像を示しており、セットを完成させるためのヴィーナスが欠落していると推定される。ウテワールによる別の小さな絵画は3人の神とアモールを一緒に示している。 ルーベンスはこのモチーフを、凍ていることが目にも明かな『凍えるヴィーナス』、必死に火を起こそうと試みるアモールのバージョン、そしてバッカスからのワインカップを《控えめに暖かく静かに目覚めるちょうどその瞬間に Moment maßvollen Erwärmens und ruhigen Erwachens》ためらいながら受け取るヴィーナスのもう1つのバージョンを含め、異なる方法で繰り返し使用した。イタリアの芸術家は、それが主に北方のエンブレム・ブックの伝統に由来するためか、あるいは主題が温暖な気候では共感するものが少なかったのか、めったにそれを描かなかった。例外はピエトロ・リベリによる絵画とホルツィウスによるアゴスティーノ・カラッチの印刷である。バロック期以降はもはやこのモチーフが頻繁に現れることはなかった。
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