芸術作品におけるマイン川
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「マイン川」の記事における「芸術作品におけるマイン川」の解説
ライン川やモーゼル川とは異なり、マイン川が詩に詠われる事は希であった。それでも長い時代の中で、マイン川を詠んだ大変に有名な詩がいくつか創られた。代表的なものとして、以下のものがある。 フリードリヒ・ヘルダーリンの十連からなる詩 Der Main(『マイン川』)。ヘルダーリンはこの詩をフランクフルトで家庭教師を務めていた1799年に詠んだ。 フリードリヒ・リュッケルトの Fuhren wir hinab den Main(『マイン川を下る』)。(リュッケルトは、1788年、シュヴァインフルトの生まれ) ヨーゼフ・ヴィクトール・フォン・シェッフェルの Die Wanderfahrt (『遠出』)。1859年に創られたこの詩は、ヴァレンティン・ベッカーが付曲し、『フランケンの歌』または『フランケン賛歌』として親しまれている。 マリー・ルイーゼ・カシュニッツの Rückkehr nach Frankfurt(『フランクフルトへの帰還』)は、戦争で破壊された街の様を描いた作品で、1947年に発表された。 Es führt über den Main eine Brücke von Stein(『マイン川の石橋を渡って』)は、フェリキタス・ククック(1914年 - 2001年)が古い伝承詩を補完し、作曲した作品で、この作曲家の最もよく知られた歌曲である。 これに対して、マイン川を扱った散文作品、特に紀行文やエッセイは大変たくさんある。マイン川を示すいくつかの隠喩で呼ばれている。たとえば、「白ソーセージの赤道」(北ドイツと南ドイツの文化的境界線であることを示している)、「マイン線」(中部ドイツ方言と高地ドイツ方言との境界線を示す)、「ドイツ帝国の坊主通り」(マイン川沿いには司教領、司教の城館、修道院が多いことに由来する)などである。マイン川に関する散文を遺した作家としては、ヴィルヘルム・ハインリヒ・ヴァッケンローダー、ルートヴィヒ・ティーク、ハインリヒ・フォン・クライスト(婚約者への書簡の中で言及している)、クレメンス・ブレンターノ、フリードリヒ・シュトルツェ、ルドルフ・ゲオルク・ビンディンク、アルフォンス・パクェット、エーファ・デムスキーらがいる。 多くの画家達もこの川をその作品に描いている。たとえば、コンラート・ファーバー、マテウス・メーリアン、デモニコ・クァグリオ、ギュスターヴ・クールベ、マックス・ベックマンらである。マイン川の古い写真では、カール・フリードリヒ・ミリウスの作品が傑出している。
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